記憶の欠片
辿り着いたそこは、昔と何も変わっていなかった。
広い芝生。
遊具もベンチもなく、ただ平らな地面が広がっているだけ。
そして、その真ん中に——ぽつんと一本、大きな木が立っている。
「……ここ?」
黒瀬が、不思議そうにあたりを見回す。
「うん」
それ以上、言葉が続かなかった。
やっぱり、覚えてないよな。
無理もない。
小学三年生の頃の話だ。
俺は、胸の奥で小さく息を吐いた。
思い出させるつもりで連れてきたのに、逆に困らせただけだったかもしれない。
申し訳ないことしたな、と後悔したそのとき。
ぽつり、と。
腕に、冷たい点が落ちる。
……気のせいかと思って、もう一度空を仰ぐ。
雲が、低い。
さっきまで薄かった灰色が、いつの間にか重なり合って、空を塞いでいた。
ぽつ、ぽつ。
芝生に、小さな丸い跡が増えていく。
乾いていた土が、じわりと色を変え始める。
次第に、雫の間隔が狭まっていく。
ぱら、ぱら、と葉を叩く音が、はっきりと聞こえ始めた。
「……雨か」
風が吹いて、湿った匂いが鼻をかすめる。
空気が一気に冷えた。
「雨宿りしないと——」
そう言って、黒瀬のほうを向いた瞬間。
彼女の肩が、小さく揺れた。
まるで糸が切れたみたいに。
「……え?」
次の瞬間、力なく前に倒れ込む。
「黒瀬!?」
反射的に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
返事はない。
顔色が、さっと青ざめている。
——まずい。
「……ダメだ」
一人で抱えられるか一瞬迷ったけど、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
「とりあえず……」
視線を上げる。
あの木の下なら、まだ雨をしのげる。
俺は黒瀬の身体を抱き上げた。
思ったより軽くて、胸がざわつく。
「……すぐだ」
誰に言うでもなく、そう呟いて雨の中を走った。
木の下に辿り着くと、葉が傘みたいに雨を弾いてくれている。
地面に腰を下ろし、そっと彼女を下ろした。
雨音だけが、世界を満たしていた。
俺は、黒瀬の顔を覗き込む。
「……頼むから」
この場所で、これ以上、傷つかないでくれ。
胸の奥でそう願いながら俺はただ、彼女の名前を呼び続けていた。