記憶の欠片


「黒瀬ー、柴野ー」


 担任の先生の声に顔を上げる。


「布とテープ、足りないから買ってきてくれ」


 献くんと、私。

 二人で顔を見合わせて、小さく頷いた。


 教室を出て、階段へ向かう。

 校舎の中は、夕方の光でオレンジ色に染まっていて、外からは部活の掛け声がかすかに聞こえる。

 もし、月城くんがこの階段の先にいたら。

 そんなことを考えた瞬間だった。

 階段を降りている途中、足先が、ほんの少し引っかかる。

 あ、と思うより先に、体が前につんのめった。

 残り、数段。

 視界が傾いて、重力に引っ張られる感覚だけがはっきりして。

 ——落ちる。

 そう思った瞬間、心臓が大きく跳ねた。


「危なっ——!」


 献くんの声が聞こえた、次の瞬間だった。

 伸びてきた手が、私の腕を掴む。

 落ちるはずだった体が一度引き戻されて。

 ……でも、勢いまでは止めきれなかった。

 階段の踊り場。

 足元に広がるのは、高い位置に嵌め込まれたステンドグラスから差し込む光。

 赤、青、黄。

 午後の陽に照らされて、色を変えながら床に滲んでいる。


「わっ——」


 バランスを崩したまま、二人分の重さが前に傾く。

 どさっ、という鈍い音。

 視界がぐるりと回って、気づいたときには、私は献くんの胸の上にいた。

 背中から階段に倒れ込んだ献くんがとっさに腕を回して、まるで抱きしめるみたいに私を守っている。

 ステンドグラスの光が揺れて、私たちの影を色付きで床に映す。

 色とりどりの光の中で、制服越しに伝わる体温が伝わる。

 はっきり分かる鼓動。

 彼の息が、頬にかかる。


「……っ!」


 恥ずかしさが一気に込み上げて、私は慌てて体を起こした。


「ご、ごめん……!」


 ぱっと距離を取って、深く頭を下げる。

 顔が、熱い。きっと真っ赤だ。


「いや、俺の方こそ……大丈夫?」


 献くんは少し照れたように笑いながら、背中をさすって立ち上がる。


「怪我、してない?」


「う、うん。平気……」


 そう答えながらも、心臓の音がなかなか落ち着かない。

 助けてもらったことへの安堵と、さっきまで重なっていた距離の記憶が、胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざっていた。

 色を変え続ける光の中でさっきまでの距離が、まるで幻だったみたいに遠ざかっていく。



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