記憶の欠片
 ——踊り場の少し上、手すりの影に、三湊は立ち止まっていた。

 買い出しの時間を確認しに来ただけだった。

 本当に、それだけのつもりだったのに。

 ステンドグラスの光が揺れて、赤や青が床を流れるその中心で二人が一瞬、重なったのを見てしまった。

 ——抱きしめた、というほどじゃない。

 事故みたいなものだ。

 助けようとして、倒れて、近づいただけ。

 頭では分かっている。

 それでも、胸の奥が、すっと冷えた。

 黒瀬が慌てて距離を取って顔を赤くして謝るのを見て、一人の男が照れたように笑うが見える。

 その一連の光景がなぜか、最後まで目に焼きついて離れなかった。

 二人が何事もなかったみたいに歩き出して、階段の先へ消えていく。

 その背中を見送りながら、俺は無意識に拳を握っていた。

 ……なんだ、これ。

 胸の奥に残る、言葉にできない重たい感じ。

 怒りでもないし、焦りとも、違う。

 ただ、見なきゃよかった、みたいな。

 知りたくなかった、みたいな。

 理由のないもやもやが、じわじわと広がっていく。


「……くだらね」


 小さく呟いて、自分の感情を振り払うように息を吐く。

 これは、恋じゃない。

 そんな大げさなものじゃない。

 ただ、昔の記憶を一緒に共有した相手だから。

 それだけだ。

 そう言い聞かせながら、俺は色の消えかけた踊り場を後にした。

 初夏の光は、さっきより少しだけ強くなっていた。
< 34 / 153 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop