記憶の欠片 Original
 電車に揺られて、少し離れた海へ辿り着いた。


 ドアが開いた瞬間、空気が変わる。


 潮の匂い、じりじりとした日差し、遠くで砕ける波の音。


 白い砂浜がどこまでも続いていて、青い海は空と溶け合うみたいに澄んでいた。


 水面は太陽の光を反射して、きらきらと瞬いている。


 ——夏だ。


 胸いっぱいに息を吸い込みながら、私は砂浜沿いに建つ海の家へ向かった。


 のれんをくぐって中を覗いた、その瞬間。


「……三湊くん」


 そこには、水着姿の三湊くんがいた。


 いつもの制服とは違って、日に焼けた肌がまぶしい。


 額の汗をタオルで拭いながら、忙しそうに動いている。


 そして、その隣。


 一瞬、視線を奪われた。


 アイボリーがかった淡い髪色。


 襟足は少し長めで、海風に揺れている。


 赤みの強い瞳。


 彼の目元はたれ目気味で、柔らかい印象なのに、どこか鋭さもあって。


 陶器みたいに白い肌が、強い日差しの中でも不思議と目立っていた。


「……あ、この子が?」


 その人は私を見ると、にこっと微笑んだ。


「初めまして。雪本 白兎(ゆきもとしらと)です」


 聞けば、大学生らしい。


 三湊くんと同じバンド──SEASONのリーダーで、ベース担当。


 リーダー、という言葉に少しだけ驚く。


 穏やかな雰囲気なのに、自然と人を引きつける空気をまとっていた。


「今日は手伝いに来てくれたんだよな」


 三湊くんがそう言うと、白兎さんは楽しそうにうなずく。


「ありがと。助かるよ」


 私も、遅れて自己紹介をした。


「黒瀬 愛梨です。今日はよろしくお願いします」


 そう言った、その瞬間だった。


 店の奥で準備をしていた男の子が、ばっと振り向いた。


 あまりに勢いがあって、思わず肩が跳ねる。


「……愛梨、って……」


 彼は何か言いかけて、言葉を飲み込む。


 視線が揺れて、迷うみたいに宙を彷徨ってから、慌てたように俯いた。


「あ、ごめんなさい……その、ちょっと……外、出てきます……」


 自信のなさそうな、掠れた声色。


 逃げるみたいにエプロンを外し、彼は早足で店の外へ向かう。


 すれ違う瞬間、ほんの一瞬だけ目が合う。


 驚きと、戸惑いと、何か強い感情が混ざったような瞳。


 胸の奥が、理由もなくざわついた。


 ——私の事、知ってるの?


 考えがまとまらないまま立ち尽くしていると、彼は私の一歩後ろで、立ち止まった。


 声は小さかったけど、はっきりと私に向けられていた。


「……後で、外に来てください」


 一拍置いて、続く言葉。


「一緒に、お話しませんか」


 それだけ言うと、彼は顔を上げないまま、外へ出ていった。


 波の音が、店の中まで流れ込んでくる。


 潮風が、頬を撫でた。


 私がまだ呆然としていると、白兎さんがふっと小さく息を吐いた。


「あー……驚いたよね」


 そう前置きして、視線を店の外へ向ける。


「今出ていったの、(とう)っていうんだ」


 その名前を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに反応する。


 でも、理由は分からない。


「かなり人見知りでさ。初対面の人と話すの、昔から苦手なんだよ」


 苦笑しながらも、どこか気にかけている様子の白兎さん。


「SEASONのメンバーで、担当はギター。ギターに関しては天才肌なんだけど、本人は全然自信なくてさ」


 三湊くんも、思い出したようにうなずいた。


「うん。演奏始まると別人みたいなんだけどな。普段はあんな感じ」


 さっきの、稲くんの表情が脳裏に浮かぶ。


 驚いた顔、揺れる視線、逃げるような背中。


 ただの人見知り——それだけで片付けていいのか、分からない。


「……そうなんですね」


 そう答えながらも、心は少しだけ外に引っ張られていた。


 ——後で、外に来てください。


 一緒にお話しませんか。


 あの声色が、どうしても頭から離れない。


 潮風に混じって、波の音が大きくなる。


 きっと今、彼はあの音を聞いている。


 私は、まだ知らない。


 彼が、何を知っているのかを。


< 47 / 150 >

この作品をシェア

pagetop