記憶の欠片
 ある日の放課後。

 廊下の窓から差し込む夕日が、床をオレンジ色に染めていた。

 名前を呼ばれて振り向くと、そこにいたのは慧だった。

 小学生の頃から、当たり前みたいに一緒にいた幼なじみ。

 でも最近は、話すのも久しぶりだった気がする。

 慧は少し眉を寄せて、真剣な顔をしていた。


「……愛梨がいじめられてるの、知ってるだろ」


 胸が、きゅっと縮む。

 否定できなかった。

 視線を逸らすと、彼は続ける。


「俺、クラス違うからさ。正直、ずっとそばにいてやれない」


 一瞬、言葉を探すみたいに間を置いてから、慧は私をまっすぐ見た。


「今、愛梨のそばにいてあげられるのは、明日香だけなんだ」


 ——明日香だけ。

 その一言が、胸に突き刺さった。


「だから、頼む」


 低く、でも必死な声。


「愛梨を支えてやって。愛梨が……壊れないように」


 その瞬間、頭の中で何かが弾けた。

 私、何してるんだろう。

 噂を信じて、距離を取って、“見て見ぬふり”をして。

 守れる立場にいながら、何もしなかった。

 慧は、全部分かってる。

 愛梨ちゃんがどれだけ追い詰められてるか。

 それでも、私を責める言葉は一つもなかった。

 ——託されたんだ。

 愛梨ちゃんのことを。

 彼女の心を。

 喉が詰まって、すぐに返事はできなかった。

 でも、強く頷いた。


「……うん。分かった」


 声が、少し震えた。


「私が、そばにいる。今度こそ……逃げない」


 慧は、ほっとしたように小さく息を吐いて、「ありがとう」とだけ言った。

 その背中を見送りながら、私は自分の胸に問いかける。

 ——もう一度、彼女の隣に立てるだろうか。

 その時の私はまだ知らなかった。

 この約束を守れなかったことを、これから先、何度も何度も悔やむことになるなんて。


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