桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「サンキューな、これで俺も自由に服を作れるぜ。ってことで、もう一仕事してくんね?」
「もう一仕事?」
 じわりと涙が出かかったところでガシリと肩を捕まれ、嫌な予感がするも時既に遅く。くるりと向きを変えられて足を進めた先には、ぽつんと人が入れそうなくらいの鏡が庭に無造作置いてあって。
「ちょっと仕立て屋! アリスに何をする気だい?」
「うーし、頼むぜ!」
 仕立て屋はチェシャ猫の抗議に耳を貸すことなく、私を鏡へと放り投げる。仕立て屋に人一人を放り投げる腕力があると思わず、予想外に飛んだ身体に悲鳴をあげずにはいられなかった。
 身体は仕立て屋の読み通りに鏡へと落下し、ぶつかる衝撃に備えた身体はバウンドする。ぽよんぽよんと数回跳ねて止まったので、安堵の息を吐く。
 仕立て屋ったら、いきなり人を投げるなんて! 
「アリ、ス」
 呼ばれた声の方に首が動く。闇を照らす星の中で、うずくまる少年を見つけた。またじわりと涙が出て、今度は溢れてしまう。私を助けてくれた大きな星の上から降りて、青と白のタイルを蹴る。
「夢魔!」
 うずくまった小さな身体を抱き締める。
「なにしてんの、って、あんた誰って聞いた方が良かった?」
 出会った時の言葉を、夢魔が紡ぐ。小さな腕が、求めていたというように私の背中に回される。
「ふふ、あの時も私、鏡に飛び込んで転んだもんね」
『ボクは夢魔(むま)。アリスがボクに何の用なわけ?』
 そう言って、夢魔は私に悲しそうに言った。呪いで鏡の中の空間から出られないのだと。寂しいはずなのに寂しさを押し殺して、耐えていた。
 ふと、ユウリのことが頭を過る。体のいたるところに刻まれた鞭の痕。痣だらけの肌。閉じ込められていたユウリの手に触れた、抱き締めた、あの時。牢から出てもまだ泣きじゃくるユウリを思いっきり抱き締めて、私は夢魔に伝えたい言葉があった。
 国の呪いも皆の呪いが解けて、貴方はもう。
「大丈夫だよ、もう一人じゃない。寂しくないよ。もう大丈夫だから」
 やっと、やっと、伝えられる。やっと、夢魔を一人にしなくていい。
「もう、もう、一人にしないでよね」
「一人にしない、私も皆も、夢魔を一人ぼっちになんてしないよ」
 夢魔の瞳から、ぼろぼろと大きな瞳から溢れてくるのが肩越しに伝わる。呼吸が跳ねる夢魔の背中をゆっくりとさすってみる。背中に回された腕がすがるように力が入った気がするのに、どうしてか夢魔は離れようともがきはじめる。
「ちょっと離して、アリスの服が汚れるよ」
「いいよ、好きなだけ泣いていいんだよ。それに、汚れの内に入らないよ」
 夢魔は身体を離すと鼻水をすすって、溢れる涙を止めようと無造作に服で拭おうとする。ユウリは素直だったのに、夢魔は少しだけ天の邪鬼だ。我慢なんてしなくていいのに。顔も話し方も境遇も似ている二人だけれど、やっぱり二人は別人だ。
「何? 子供みたいに泣けば満足?」
「ううん、そうじゃないよ。我慢しなくていいのに、って思ったの」
「我慢なんてしてないし。僕はもう、救われているんだ」
 口を尖らせて、フイと顔を背ける。救われていると呟いた横顔は、遠くを見ていて。呪いが解けて救われたという意味かと思ったけれど、どうしてかその瞳の先に、私の考える意味とは違う真意がある気がして。聞くのを躊躇っている内に、涙を拭った夢魔が私をまっすぐ見つめてくる。
「ねぇ、僕を外に出してくれるんでしょ」
「うん! 勿論だよ。一緒に外に出よう!」
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