たい焼きの頭としっぽ〜歳の離れた弟を育てていたら、幼なじみの御曹司俳優までお世話することになりました〜
「はい。湊、どうぞ」
「ありがとう、ねえさん」

ぱっちりと目が覚めて、すでに夕飯を食べ始めている湊の前へ、そのうちの一つを差し出した。

そして、もう片方は拓真へと渡そうとしたわけだが……。

「柳生さん?水、置いときますよ」

辛うじて返事を返してくれた先ほどとは違い、今は返事すらないから、私の声が聞こえているのかどうかすらわからない。

(何?このまま一生、飲まないつもり?)

せめて、ローテーブルの上にでも置いていこうと、私はコップから手を離した。

そのときだ。

ピクリともしなかった拓真の手が、新たな本を取ろうと突然動き出し、あろうことか並々と水が入ったコップと接触してしまった。

幸い、本は濡れずに済んだが、私のTシャツから伸びた腕や、使ったあとのないピカピカのスリッパは、びしょ濡れになった。

「……何してる?」

(大丈夫、大丈夫。こんなの初めてじゃないんだから)

私は慣れたように深く腰を下ろして、ローテーブルの上にあるティッシュ箱から、何枚か抜き取る。

そしてフローリングに視線を集中させ、水気を拭き取りながら、これ以上なく明るい声で振る舞った。

「ほんと、これが味噌汁とかじゃなくて、良かったよ。匂いとか染み付いたら、大変なんだから」

でも、拓真の声はそんな明るさを跳ね除けるくらい、とことんぶっきらぼうなものだった。

「お前は、こんなことをするために、ここにきたのか?」

「何?どういうこと?」

「変に立ち入られると、話が変わってくるって言ってるんだ」

(ん?つまり、水を置くだけで、他の意味が含まれるってこと?………拓真の周りには、そんな冷たい人間ばかりだったから?それとも、私たちが一度あんな関係になってしまったから?)

どうしても、拓真のその言葉が引っかかって、目の前のやるべきことも忘れて、そんなことをグルグルと考えていた。

すると湊が、いつの間にか自力で探し出したリモコンを手に持ちながら、拓真のそばまで駆け寄ってくる。

「父ちゃん、時代劇見てもいい?」
「……時代劇?ああ。構わないよ」

その言葉をもらって嬉しそうに、食卓へと戻る湊の背中を見届けながら、私は何か心に決めたように勢いよく立ち上がった。

このままあやふやにしていては、何をするにも余計なものが付きまとう気がしてならなかったから。

(……はっきりさせるなら、今しかない)

私は拓真の腕をガシリと掴んで、ここから一番近い部屋である書斎へと向かった。

部屋に入ると、まるで閉じ込めるみたいに出入り口を閉め切って、自分の手の中から拓真の腕をパッと離す。

「……なんだよ」

何も分からず連れてこられた拓真は、本棚を背に足を止めている。

電気もつけないで、どこになにがあるのかもよく分からないけど、唯一、その人の気配だけは感じられる。

とっくに腹を括っていた私は、その気配を前に、躊躇いもなく立ちはだかった。

そして、"ドーーン!!"と、大きな音を立てながら、その気配のそばに、どっしりと右手をつき、揺るぎない事実を証明してみせる。

「意識なんてしてたら、こんなこと出来ないでしょ」

いかにも生き勇んでいるみたいに、心臓はものすごい音を立てているし、鼻息まですこぶる荒い。

「柳生さんの言うとおり、湊のためだよ。だから、柳生さんにも倒れられちゃ困るの」

「……そのときは、そのときだろ」

でも、拓真は呼吸ひとつ取っても、心の揺れを一切見せずに、そう小さく返した。

ドアの隙間からほのかに差し込む明かりだけがあるこの部屋で、拓真がどんな表情をしているのか全く分からない。

ただ、あんなに自分の全てをかけて向き合っている人が、そんな適当な言葉を心から吐いているとは到底思えなかった。

(……うそつき)

怒りとか、怖さとか、色んな感情が一気に押し寄せてくるけれど、それを堪えるように、震える息を吐き出す。

それでも、まだ頭には血が上ったままた。

わずかに残る冷静さをかき集めて、私は最後にこう言っていた。

「死んじゃったら、それが、最後だって……とっくに、気づいてるんだと思ってた………」

やっぱり拓真は、ぴくりとも動かない。

私は、もうこの人とはどうやったって分かり合えないんだと諦めて、とっとと部屋から出ていった。
< 46 / 48 >

この作品をシェア

pagetop