たい焼きの頭としっぽ〜歳の離れた弟を育てていたら、幼なじみの御曹司俳優までお世話することになりました〜
あと、二週間。

もう少し、もう少し、冷え込みが強まるまで、何も起きなければ、ひと夏の失敗も、すっかり忘れられる。はずだった……

だから、店の中から明かりが消えた後も、そこから動こうとしなかった。

どうにか、今日という日を免れる方法はないのか、必死に頭を働かせている。

(あっ、そうだ!スマホは?財布は?)

エプロンのポケットに手を突っ込み、何かを見つけた。

手のひらを開くと、そこにあったのは、五百円玉一枚。

最後のお客さんからもらったおつりだ。

(いや……これで、どうしろと……)

目の前の現実から、目を逸らしたくて、もう一度、手のひらに、それを隠し込む。

まだ、ここから動きたくない。

だから、地べたに、しゃがみこむ。

今日の月明かりは、夜の闇に隠れてる。

でも、誰もが何の変哲もない暗闇として見上げるだろうこの空に、私は至って簡単に、あの丸々とした月を描けてしまう。

ひどく酔っていたのにも関わらず、一つ一つの状況だってちゃんと語れる。

(……はぁ……六年じゃない、二週間だよ?二週間。大丈夫なフリなんて無理に決まってるんだって)

すると、ご近所さんが前を通る。
私は、スッと立ち上がり、小さく会釈する。

「こんばんはー」

私の頭には、こんな考えが浮かぶ。

(もし……噂にでもなったら?)

考えただけで、ゾッとした。

だから、もう、しゃがまなかった。

橙の灯りが浮かぶ霧の中を、一人、俯きながら、歩き始める。

あの夜は、タクシーの後部座席に、支えをなくした身体を、だらしなく預けていた。

本当に、楽だった。

ネオンの光が、思考を止めてくれた。

後ろに乗っていれば、勝手に、日常に戻ってくれた。

次、会うときは、何も知らない土地で、何も知らない人間に、帰れているはずだって。

そんな希望まで残っていた。

でも、今日は、違う。

急に出てきたネオンの光は、やけに刺激が強い。

見ず知らずの人の声が、ノイズになって聞こえてくる。
前を行く人の足に、無心で食らいつく。
人と人に挟まれて、身動きも取れなくなる。

目に入るのは、真っ白なスニーカーだけ。

頭の中には、自分を罵る余白も、たっぷりと出来てしまう。

希望なんてまるでない。

残るのは、恥と自己嫌悪。

だって、冷めた人間の前で、一人勝手に燃え上がっていた女が、一体どんな顔で出ていけば良いんだ。

(………あーあ。やっぱり、行きたくないな)

もう、いっぱい、いっぱいだけど、声も出せない。

だから、私は何度も、何度も、音のない声を、スニーカーに落とす。

ひと気のないエレベーターに乗って、そんな自分の顔を、初めて見た。

潜めた眉に、覇気のない目。

(絶対、ダメじゃん……)

湊と拓真は、もうすっかり打ち解けた様子で、話をしていた。

彼の中では、やっぱりあの夜の一件も、きっと、なかったことになっているのだろう。

本当に、人生は思った通りには進まない。

終わりがない、とは思わない。

すべてに終わりはあるから。

でも……

せめて、それを、自分で決めることができたら、どれだけ楽に生きれるだろうか。

まあ、それこそ夢物語であるのは、百も承知だ。

だから、私は、鏡に息を吐きつけながら、口の端を上へ、上へと引っ張っている。
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