たい焼きの頭としっぽ〜歳の離れた弟を育てていたら、幼なじみの御曹司俳優までお世話することになりました〜
ここの浴場は、ひのき風呂がこだわりだそう。
木の香りと心地良い流水音が、都会の喧騒を忘れさせる。

「な、何これ?」

なのに、私は浴室鏡の前で、膝を曲げながら、ただただ困惑していた。

人が後ろを通っていく。
手のひらで首筋を隠す。

見られちゃ、まずい。

ひのき風呂の隅っこ。
並々と溢れんばかりの水面に足を入れ、肩までザブンと浸かる。

ガラス窓の向こうには、自然の緑が生い茂る。
鈴虫がしきりに風流な音を奏でている。

一旦は、落ち着く。

でも、またすぐに、お湯の中から、手のひらを出して、ボーっと見つめる。

どうやら、あの日から、毎日毎日、こうやって自分の手のひらばかり、見つめていたらしい。

湊や父さんに指摘されるまで、全く気付かなかった。

そのとき、とっさに、手相占いにハマっているんだー。と。口走ってしまったばっかりに。

彼らの運勢を、占うことになってしまった。

もちろんハッピーな一日になりますよーとか、そんなことくらいしか私には言えない。
だって、知識なんてこれっぽっちもないのだから。

この通り、あれは、確かに「とんでもない事件」として幕を閉じたわけだ。

そりゃあ、私だって、一応女性だから、「プロポーズ」ってものには、昔から憧れはあった。

でも、あれは違う。
絶対に、違う。

それに、あのとき、しっかりとお断りしたじゃないか。
私は、手のひらを見ながら、頭をぶんぶん左右に振っていた。

すると、また後ろに人が。
手のひらは、肩に。

ほら。
拓真のせいで、また奇妙な癖が増えてしまった。

(なんで、あんなこと……)

その瞬間が、ポッと頭に浮かんでくる。
まだ、ちょっとしか浸かっていないのに、早くも、頭がポーっとしてきた。

だから、ガバッと水飛沫をあげて、水面から身体を出す。

ペタペタと、濡れた足で、石床を踏む。
シャワーのハンドルを下げる。
温水を冷水にして、頭からかぶった。

身体が凍える。
何も考えられなくなる。

頭の中に唯一残った気持ちは、やっぱり一つだった。

(今度、何かされたら、もう一度、きっぱりお断りさせてもらおう)

と、まるで武士のような姿勢で、襖に耳をひっつけながら、待機していたわけだが。

待てども待てども、敵が来る気配がない。

(遅いなあ……)

もう、待てなかった。
立ち上がろうとした。

そのとき。
かすかに物音が聞こえた。

でも、すぐには、駆け出さなかった。
また、襖にへばりつく。

私だって、二度、同じ間違いを犯すほど、馬鹿ではない。

そして、こつん、こつんと格子戸をこつく音が二回聞こえた。

私は、してやった感満載で、高らかと声を上げた。

「はいっ!」

引き手に、指をかけた。
でも、ワンテンポ遅れて、返ってきたのは、拓真の声じゃない。

「ねえさん?湊だよ」
(……えっ?)

私は、襖を、パーンっと、開けた。
格子戸の向こうには、本当に湊だけが立っていた。

今度こそ、私は、外へと駆け出した。
小さな身体を抱き上げ、四方八方を、一つ一つ確認する。

すると、だんだんと、小さくなる紺色の背中が一つ。

「あのっ!」

勝手に、声が出ていた。

拓真は、振り向かなかった。
止まらなかった。

右へ左へ、手を数回振る。
それだけ。

すぐに角を曲がった。
その背中は、見えなくなった。

でも、私は、まだ、ボーっと見つめている。
こうして、湊とおしゃべりしているときも。

「ねえさん?ねえさん?」
「ん〜?」

「ゆっくり入れた?」
「入れた、入れた〜湊、ありがとねえ〜」

(何……?これじゃ、まるで一人で期待してたみたいじゃん……)

< 92 / 157 >

この作品をシェア

pagetop