鈴村君の裏の顔

私は思わず背筋を伸ばした。

「え、でも……」


「“でも”なし。」

本屋の静かな空間なのに、
なぜか優希の声だけが近くに聞こえる。

一歩、また距離が縮まる。

ちっ……近い!!

マスク越しでも分かる、柔らかな視線。


「それとさ……」


「……?」

「“優希君”っていうのも、禁止。」


「え?」

心臓が一瞬止まった気がした。
それ……隼人君にも言われた言葉……。


「”君”いらない。呼び捨てでいい。」


「えぇ!?」

思わず声が裏返ってしまい
慌てて口を押さえる。


周りの視線が少しだけこちらに向く。
そんな私を見て優希君は、
楽しそうに肩を揺らす。


「そんなに驚く?」


「だ、だって……無理です!」

小声で必死に訴える。


「恐れ多いですし……」


「恐れ多いって……なんで?」


「だって……優希君は」
「優希君ですし……。」


自分でも何を言っているのかわからない。
完全に私……テンパってる。


優希君は少しだけ黙ったあと、
ふっと笑う。

「俺は俺だよ(笑)?」

その声は低くて優しい。


「アイドルでも俳優でもなくて、」
「今はただの“優希”なんだよ。」

距離がどんどん近くなってる……
さっきより確実に。


「だから呼び捨てでいい。」


「……」

無理……

絶対無理……

優希君はそう言ってくれるけど、
私……MOONのファンでもないけど、
優希君を推してる人に申し訳ないよ……。


「……やっぱり優希君」
「で許してください。」

小さくお願いする。

優希はじっと私を見つめる。

その視線がやけに甘いことに、
私はこの時気付いていなかった。


「そんなに?」

「はい……」

少し考えるような間。


それから優希君は、
仕方ないなという顔をする。

「じゃあ条件。」


「え?」
「じょっ……条件ですか?」


「自然に呼び捨て出来るまで」
「”君”付けて良いけど……」
「その代わり、敬語は本当に禁止。」

指を一本立てる。

「あと、二人きりのときは」
「“優希”って呼ぶのを努力と練習すること。」


「努力と練習!?」

「うん。宿題。」

さらっと言う。

心臓がまた変な音を立てる。

なんでそんな距離の詰め方するの……

でも優希君は自然すぎて、
やらしさがまるでない。


「わかった……。」


「よし、それじゃこの話しは終わり。」


優希君はただまっすぐで

そして私はただ甘い蜜を与えられた
ような錯覚になる。


「で、望愛ちゃんは映画一人で」
「観る予定なんだよね?」


「うん。」



「じゃあ一緒に行く。」


優希君は笑顔で即答だった。


「え?」


「俺も観たいし。」


「自分が出てるのに?」

「俺、まだ完成観てないんだよね。」
「それに……」
「隣で観る人の感想も気になるから。」

さらっと言う。

その意味の重さに、私は気づかない。


「……そういうもの?」


「そういうもの。」

そう言いながら、
優希君は私の手から漫画をそっと取る。


「これ好きなの?」


「うん、続き気になってて」


「じゃあ買お。」

優希君はそう言って
レジへ自然に歩き出す。
あたかも優希君が支払いするような
流れになっている。


「え、私が払うよ!」
「私の趣味なんだから。」


「いいよ、今日の記念って事で。」


「そんな記念ないよ!」


小声で抗議するけど、
優希君は着々ともう会計を済ませた。


そして、袋に入った漫画を渡される。

受け取る際に優希君の指先が触れる。

ほんの一瞬。

なのに、体温が伝わる気がした。


「優希君、ありがとう。」


「どういたしまして。」
「あっ、映画まで少し時間あるし、」
「コーヒーでも飲む?」
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