鈴村君の裏の顔

*優希 side*


朝は、昔から少し苦手だった。

目が覚めた瞬間から、
頭が勝手に考え始めてしまうから。

カーテン越しの光を背に、
ベッドに仰向けになったまま、
天井を見つめる。


昨夜、リーダーの翔太が何気なく口にした名前が、
まだ耳の奥に残っている。

三上望愛。

ありふれた名前だ。
全国に何人もいる。

それなのに、
あの瞬間、胸の奥が確かに反応した。

忘れたはずなのに……

小学生の頃の記憶なんて、
もう遠すぎて、
今の自分とは関係ないはずなのに。

ベッドから起き上がり、
洗面所へ向かう。
鏡に映る自分は、
いつもの無表情だ……。

俺は……表はクール系担当で通っている。
表情はあまり、仕事の時とプライベートは
変わらない。

隼人が変わりすぎなだけ……。


水で顔を洗いながら、記憶が勝手に蘇る。

小学校、放課後の教室。
机の上に広げられた漫画。
ページをめくるたびに、
目を輝かせていた女の子。

”ここがね、一番好きなの!”

って、無邪気にはしゃぐあの声。
少し高くて、柔らかくて。


三上……望愛

名字と名前を、
あんなに自然に呼んでいたのは、
後にも先にも彼女だけだった。

……偶然だ……

そう言い聞かせて、
歯ブラシを口に咥える。

心のどこかで分かっていた……。

もし違ったら……?
いや、違っていたのなら
ここまで引っかからない。

リビングへ行くと、
いつもの朝の光景。
隆二がソファでスマホを見て、
翔太がキッチンに立ち、
隼人は相変わらず余裕のある顔をしている。

いつもと……変わらないな。

だけど……
今日はやけに空気が重く感じた。


隆二
「今日から新しい家政婦さんだっけ?」

隆二の軽い声。

翔太
「一般の子だってさ。」

翔太の落ち着いた返答。

一般の子……
その言葉が、胸に引っかかる。


芸能界とは無縁の世界。

彼女は一般人で……
俺はアイドル……
もし、本当に彼女だったら……

俺と、完全に別の場所にいるはずの人。

窓際に立ち、外を見る。

視線は景色を捉えているのに、
頭の中では別の映像が流れていた。

ランドセル。
校庭。
教室。


……会いたいって、
密かにずっと思っていた。
俺が親の転勤で東京に引越しを
してしまいそのまま会えなかった。



今の自分は、アイドルてになって
テレビ業界の商品。
簡単に近づいていい存在じゃない。


それでも……

——ピンポーン。

インターホンの音が、
思考を一気に引き戻した。

心臓が、はっきり跳ねる。

……来た。

足音。
ドアの向こうの気配。

隼人の、完璧に作られた声。

隼人
「初めまして。」

その直後に聞こえた声。

少し緊張していて、
でも、どこか落ち着いている……
間違えようのない声。

望愛
「はじめまして……」
「三上望愛です。」


……あ……

頭が、真っ白になった。

理性が、遅れて追いつこうとする。

違うかもしれない……
同じ名前の、別人だ……

声だけで判断はしてはいけない。

でも、体は正直だった。

視線が、勝手にそちらへ向く。

そこに立っていたのは、
確かに大人になった望愛ちゃんだった。

背は少し伸びて、
雰囲気も変わっている。

髪、ロングヘアーにしたんだね。


立ち方。
目線の動かし方。
緊張するときに、
ほんの少し指先に力が入る癖。


……望愛ちゃんだ。


確信した瞬間、
胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

優希
「……望愛ちゃん?」

気づいたら、名前を呼んでいた。

抑えたはずの感情が、
声に滲んでしまったのが、
自分でも分かる。

彼女が驚いた顔でこちらを見る。
ただ、その表情は——
“懐かしさ”ではなく、純粋な戸惑いだった。

……気づいてない……

初対面の芸能人を見るような、
少し緊張した、距離のある視線。

そりゃ、そうだよなと思う。

小学生の頃の俺と、
今の俺が、重なるはずがない。

名前を呼ばれて驚いただけ。
それ以上の意味は、まだない。

………俺だけが覚えてる。

胸の奥が、少しだけ痛む。

それでも。

逃げられない、と悟った。

忘れたふりをしてきた初恋が、
こんな形で、こんな近くで、
再び息を吹き返すなんて。

隣で、
隼人が何か笑っている気配がする。

……面倒なことにならないと良いが。

そう思うのに。

胸の奥は、
不思議なくらい、静かだった。



優希 side 終わり
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