新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~
魔塔勤務の日。
リエルは緊張と好奇心を胸に、初めての勤務地である魔塔を訪れた。
王城の一角にある魔塔は、石壁に魔法陣が刻まれている。
内部は階層ごとに用途が分かれ、薬草や魔導具の匂いが混じる廊下の先には、研究室と簡素な居住区が無秩序に連なっていた。
「呼ばれてまいりました、リエルと申します」
入口で挨拶すると、受付近くにいた魔女が探るような目付きになる。
豊かに波打つ薔薇色の髪の魔女は、墓地で第二王子と歩いていた人物だ。
「あなたがハルティシオン殿下のお気に入りの……?」
縄張りに侵入してきた外敵を睨むような気配に、首の後ろがひやりとする。
もしかしたら、王子に取り入った不届き者だと思われているのかもしれない。
「殿下にお会いしたことはございませんが、掃除の能力をお気に召していただいたとお伺いしております。誠心誠意、お掃除させていただきます。リエルと申します」
ぺこりと頭を下げると、魔女は距離を詰めて自己紹介してくれた。
「私はこの塔での序列が三位の『赤い糸の魔女』ロザミア・レイモンドよ。実家はレイモンド伯爵家ね」
「序列三位で称号持ち……」
序列というのはよくわからないが、誇るような口調から察するに、実力者で身分が高いのだろう。
リエルは背筋を伸ばした。
「あなた……リエルだったかしら」
「はい」
ロザミアはヒールの音を鳴らして近づき、至近距離で右手を伸ばしてリエルの顎を持ち上げ、顔を覗き込んだ。
長く伸びた赤い爪と美貌に蛇に睨まれたカエルの気分になっていると、ロザミアは表情を和らげた。
「いじめたりしないわよ。そんなに緊張しないで」
「あ、……はい」
素直に頷くと、その従順さがお気に召したのか、ロザミアは微笑んで手を離した。適切な距離感が戻ってきて、リエルはほっとした。
「顔立ちはあどけないわね。受け答えも素直な感じがする。殿下の好みはもっと年上だと思っていたけど」
ロザミアは腰に差していた短い杖を抜き、サッと振った。
「いいでしょう。リエル。私の赤い糸が塔内をガイドするわ。ガイドについていってお仕事してちょうだい」
杖先が赤く輝き、光の糸が湧き出る。
――魔法だ。
光で形成された赤い糸は、リエルの左手の小指にしゅるりと巻かれた。
「何かあったときは、糸を握って私の名を呼べば連絡が取れるわ」
「便利ですね……!」
「さぼったり、価値のあるものを盗もうとしたらカエルに変えてあげるから覚悟なさい」
糸がしゅるしゅると伸びて、道案内するように曲がり角を曲がっていく。それは、不思議な光景だった。
(魔法の糸と魔塔探検だ。わあ……なんだか、わくわくするかも)
仕事のはずなのに、胸が高鳴るのを抑えられない。リエルは意気揚々と仕事に着手した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
魔塔の魔法使いは、研究に没頭している人が多い。
論文を書いたり実験したり、場合によっては精根尽き果てた様子で寝ている。
「あああ~、今掴みかけたのに! わからなくなってしまった! 学問界の損失だ! 今の発想は素晴らしいものだったのに!」
「失礼しまーす……」
「あああ! 思い出した! 思い出したよ! 君のおかげだ、ありがとう!」
「よかったですね……⁉︎」
やり取りの間に、遠くで爆発音が鳴っている。寝ている魔法使いは、どんなに騒いでも起きない。
「では、お掃除させていただきまーす……」
近くにある試験管セットの中身の液体がぽこぽこと沸騰して黄緑色の煙を出していて、どきどきする。
床には論文が散らばり、魔法陣は脈打っていた。
魔法はわくわくするが、下手に触ったり動かすと大変なことになりそうで、怖い。
おそるおそる掃除をして部屋を渡り歩いていくと、幽霊がたくさん集まっている部屋に出くわした。
「この計算式をロザミアが今年考えた魔法陣に使うと効率よく魔力変換できるぞ」
「そもそも魔力は元をたどれば浄化力とそう変わらないのだ」
「わしが死後に書いた論文を生きている者に届けたいのだが……」
(幽霊になっても研究を続けてるんだなぁ)
水槽の中では色鮮やかな熱帯魚が群れを成して暴れ、尾びれで水面を叩いては容赦なく水を飛ばしてくる。
籠の中のカナリアは羽を膨らませ、「ねえ聞いて、昨日の恋の続きなんだけど」と、どう考えても今でなくていい話題を振ってきた。
足元では小さな赤ちゃんサラマンダーが、ちょろちょろとまとわりついて離れない。
「きゅう?」
何してるの、と言われているのかもしれない。
思わず頬が緩む。けれど、立ち止まってはいられない。
掃除の手を止めれば、日が暮れる。
燃えやすそうな羊皮紙は端にまとめ、試験管や何かを煮込んでいる鍋は触れずに、周りの安全そうなところの埃だけを払う。窓枠は隅まで埃をチェックして、雑巾で拭く。
「きゅう!」
サラマンダーが床をごろんごろんと転がり、尻尾で棚を叩いている。もしかするとリエルの真似をしているのかもしれない。
愛らしい助っ人に和んでいると、幽霊が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん。オレたちが見えてんだろ。ちょっとこれを見てくれよ」
「ん?」
幽霊が何人も集まって何かを見せてくるのは、魔力で空中に書いた計算式だった。
「いいか、お嬢ちゃん。この計算式は、現在魔塔が総力をあげて研究している浄化変換装置の生成効率を120%向上させる素晴らしい計算式なんだ」
「あまり意味がわかりませんが」
「われらが殿下は長らく、人間が持つ魔力の成分を伝承上の天使が扱うような神聖な力に変換する研究をしており……」
幽霊が口々に研究について語りだす。
「天界の住人は、ごく稀に地上に降り立ち、人間と交わることがある。その結果、人間の中には、稀なる浄化の力を持っていたり、天界に祈りを届けて奇跡を得られる聖者が現れる……我が国の王族の中にも、過去何人も聖者の方々が……」
なんだか難しい講義が始まってしまった。
聞いていると頭が痛くなる話で、正直、半分も理解できなかった。
ただ、どうも魔塔では天使の神聖な浄化の能力について研究しているらしい。
「えっと、この計算式を発見したと言えばよいのでしょうか?」
「それで充分だ! ありがとうお嬢ちゃん!」
「殿下に直接伝えられるといいのだが、あの殿下は猫しか見えないようだからのう」
リエルのペンダントは紫や青の光を輝かせる。
幽霊たちの研究成果らしき計算式をメモしたリエルは、赤い糸に声をかけた。
「ロザミアさん。聞こえますか? リエルです」
「はぁい、聞こえているわよ。何か問題が発生した?」
糸越しに向こうの環境音が聞こえる。
シオンの声が聞こえるような。
『今リエルと話しているのか? 俺はそもそも、仕事ではなくて遊びにおいでと誘ったんだ。それがなぜか仕事を頼んだことに……おい、俺と話をさせてくれ。今どのあたりにいるんだ? 今日は俺が魔塔を案内するつもりだったんだが?』
「ちょっと背後がうるさくてごめんなさいねリエル。気にしないでちょうだい」
「すごく気になりますが……ええと、過去に亡くなった魔法使いさんたちの研究成果を見つけましたので、そのご報告でした」
「……! なんですって!」
『どうした⁉︎ リエルに何かあったのか⁉︎』
「今取りに行くわ。待っててちょうだい。殿下は寝ててください」
ぷつっと音が切れて、数秒後にはロザミアが目の前に現れている。
「私の糸は、糸の先にいる人のそばにすぐに移動できるの。すごいでしょ」
「すごいですね……!」
「それが研究成果? 預かるわ。お掃除は引き続きやってちょうだい」
「さっき、殿下のお声が聞こえましたが」
「やってちょうだい」
(まあ、やれと言うならやろう)
リエルは引き続き掃除をしていった。
最上階へ続く扉を開くと、風が頬を撫でた。
王都は夜を迎えようとしていて、灰色の雲が細い隙間から茜色の夕陽を滲ませていた。
屋上は床一面に魔法陣のようなものが描かれていて、中央には、黒い祭壇のようなものがあった。
「……何?」
胸の奥がざわめいた。
理由はわからない。ただ、この場所がとても重要な場所で、あの祭壇は特別な何かに使われているのだろう、という確信を抱いた刹那。
「……っ⁉︎」
こめかみがずきりと痛み、視界が揺れる。
(また頭痛……!)
体の変調は厄介だ。自分の体が自分の思い通りにならないのがもどかしい。
リエルはふらりと倒れかけ――その体が、誰かの腕に受け止められた。