新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~
 休養を取り、体調も万全に整えて、今日からは再びお仕事だ。
 職場復帰したリエルは侍女の制服に身を包み、清掃仕事を担当した。
 ただ、王城は広すぎて、掃除用具を手にしたまま、道に迷ってしまっている。
 
(ここ、どのあたりだろう。書庫に向かっていたはずなのに、景色がまるで違う。まずい……)

 先輩侍女ともはぐれてしまった。
 人通りも少ないので、とりあえず人がいる場所に移動しないと――と周囲を見渡して、ふと気づく。

(あ……幽霊がいる……)
 
 ちょうど窓辺に、執事服姿の幽霊が立っていた。
 灰色の髪はきっちりと撫でつけられ、指先は無意識に窓縁をなぞっている。

「すみません、道に迷ってしまったのですが……」
「私が見えるのかね」
「あっ、はい」

 幽霊は軽く目を瞠り、口ひげをしごいて執事服のしわを整えた。
 そして、交換条件を突き付けてきた。

「私は侍従武官のグレイ・ロマンセ。道案内をするので、代わりに気になっている部分を掃除してくれないだろうか?」
「お掃除ですか? それはお仕事なので、もちろんいたします」

 侍従武官というのは、高位の文官や王侯貴族に付き従う護衛兼小間使いみたいな役職だ。
 リエルが手に持った掃除用具を示すと、グレイは目を細めた。
 
「助かる。いつか掃除されるだろうと思っていたら、いつまでも掃除されぬので祟ってやろうかと思っていた」
「祟らないでください……」

 その力で掃除ができればいいのに。
 リエルは思いを飲み込み、早速お掃除を始めた。
 
「そこの角とか。隅とか。目立たない場所や拭きにくい溝が汚れを見落とされやすいのだ」
「ああ……確かに。承知しました」
「ありがとう。すっきりするよ」
 
 グレイは王城の構造にやけに詳しく、案内役としては申し分ない。
 リエルはすぐに書庫に案内してもらえた。

「はあ……最上段の本の上に埃があるではないか。高い場所の本は取られにくく埃が溜まりやすいのだが、掃除をする者がさぼりやすい場所でもある……面倒だからな。だが、その面倒なことをするかしないかで差がつくのだよ」
「今拭きますね」

 台を引きずり、よじ登る。
 本を取り、拭き、また降りる。
 それを何度も繰り返す仕事だ。地味なようでいて、体力を使う。リエルは新しい本を棚から取り出し、汗を拭った。埃が舞って、鼻がむずむずする。

「結構、大変ですね。これ……っくしゅん! くしゅん、っっくしゅん……!」 
 
 くしゃみが連続した拍子に手元が滑る。本を落としそうになって、リエルは焦った。
「いけない……――きゃっ」
 本を掴み直したところで、大きくバランスを崩してしまう。

(しまった……!)
 
 落ちる――硬い床が迫り、衝撃を覚悟した瞬間。
 がっしりと腰が掴まれて、体が誰かに受け止められた。ふわり、と全身を控えめに包むのは、安心する爽やかな花の香り。好きな匂いだ。

「高い場所の掃除は危ないんじゃないか?」
「シオン様!」

 耳に柔らかい、落ち着いた青年の声に、リエルは全身の力を抜いて安堵した。
 リエルの体を受け止めてくれたのは、黒いローブ姿のシオンだった。

「高い場所は俺が掃除するよ」
「お忙しいのでは……?」
「俺は怠け者で、仕事をさぼってばかりだと評判だからな」
 
(否定できないのが、なお困る……)
 掃除を手伝ってもらえるのは助かるが、王族なだけに恐れ多い。
 
「お手伝いありがとうございます。では、私は下の方をお掃除します」
「うん。お願いします」
  
(お願いします、だって)
 
 ふとした瞬間に、彼は『天使様』への並々ならぬ敬意を見せる。恭しい態度の方が本来、彼が取りたい態度なのだ。
 けれど、リエルが嫌がっているから、努力して普通に扱おうとしている。その努力がうまくいったりいかなかったりするのが、なんだか妙に可愛く思える。
 
 ふたりが掃除をしている中、執事幽霊のグレイは、もどかしそうにしていた。
 
「おお。これはこれは、第二王子のハルティシオン殿下ではありませんか。最近はご体調が優れないようで心配なのですが、意外とお元気そうでなにより。……もどかしい。声をかけることも、手伝うこともできぬとは」

 シオンはグレイを見ることはできないらしい。
 何も気づかず、「掃除は大変だな」と呟いている。
 
「しかし、目に見えて綺麗になっていくのは少し気分がいいかもしれない」
「私も掃除は結構好きです。体を大きめに動かすからか、ぽかぽかしますし」
「リエルが可愛いことを言うから、今俺の心もぽかぽかしてる」

 可愛いのはあなたです、と言いかけて、リエルは口をつぐんだ。たぶん喜ばないだろうと思ったので。
 
 書庫は幽霊のグレイの助言もあり、見違えるほど綺麗になった。
 
 そして、その日以来、グレイはリエルを見かけるたびに声をかけてくるようになったのだった。

「リエル嬢。さきほど、騎士団寮をチェックしたのだが、張り紙が増えていたぞ」
「張り紙ですか」

 騎士団寮の施設は、以前よりも綺麗に使われるようになったと評判である。

『施設の美しさは心の美しさ』
『汚したらすぐに自分で拭きましょう』

 グレイは満足そうに腕を組み、天を仰ぐ。
「友よ。我々が生きている頃には改善しなかったが、ついに騎士団が変わったぞ」
 
 死去済の友人に向かって語り掛けているのか――と見守っていたリエルは、なんとなく騎士の幽霊を思い出した。

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 一方で、侍女たちの間では、別の評判が立っていた。

「リエルって、掃除すごく上手よね」
「この前見かけたけど、手際が良すぎてびっくりしたわ」

 侍女長も感心した様子で褒めてくれた。

「私たちは、誰にも気づかれなくとも、毎日縁の下の力持ちとして国家を支えています。リエルは新人でありながら、それをすぐに理解してくれました。立派ですわ」

(素晴らしいのは侍従武官のグレイ様だと思うけど)

 リエルは部屋の片隅にいる幽霊のグレイを見て口を開いた。
 
「侍女長。実は、私がお掃除を頑張れたのには理由があります」
「まあ。なにかしら」
「夢に執事服のおじさまが出てきて、お掃除の大切さや掃除が足りていないところを教えてくださったのです」
「まあ……」

 こういうことを言うと気味悪がられるだろうか、と思いながら様子を窺うと、侍女長は遠い思い出に浸るような目になった。

「きっと、侍従武官だったグレイ様ね。仕事に誇りを抱いていて、綺麗好きな方でした。亡き騎士団長のダニエル様にも『騎士団寮が汚い』と口を酸っぱくして言っていて」

 騎士団長のダニエル――それは、もしかして幽霊の騎士の正体だろうか。リエルは点と点がつながった気分になった。

「この王城の敷地内に、グレイ様のお墓があるの。まいりましょうか」
 侍女長はそう言って、リエルを執事長の墓の前に連れて行ってくれた。

「執事長、お城を見守ってくださってありがとうございます」
「お掃除を教えてくださってありがとうございました」
 
 墓を清めて手を合わせると、墓の後ろに立っていた執事幽霊はハンカチで目元を拭い、輪郭を薄くして空気に溶けるように消えていった。

「……ありがとう。私の時代は終わったのだと思えてきた……あとは任せるぞ、弟子よ……」
(弟子認定されてた……)
「弟子よ……この国には、まだ掃除されていない穢れがある。瘴気竜だ。あれをよろしく頼む」
「えっ」
 瘴気竜を掃除しろと言われましても。どうしろと。

 頭痛を覚えている間に、魂は天に召されていった。見送っていると、侍女長が肩を叩いた。
 顔を上げると、口元に人差し指を立てている。視線の先には、痩せた木立の向こうを歩く高貴な衣装の貴公子――シオンがいた。

 その紫の髪は薄曇りの木漏れ日に柔らかな光と陰の色彩模様を落とされていて、蜂蜜色の瞳は普段より遠く感じる神秘的な光を湛えている気がした。
 隣には、燃えるような薔薇色の髪の美女が歩いている。頭に濃紺色の魔女帽子をかぶっていて、魔塔所属の魔法使いのようだ。

(なんだか、絵になる)

 見ていると、あちらも気づいた様子。
 目が合うと、微笑んで手を振ってくる。
 侍女長が畏まって深々とお辞儀をするので、リエルは慌てて頭を下げた。足元に自分の陰が伸びている。
 
 シオンと同伴の魔法使いは、ゆっくりと墓地を歩いていく。
 侍女長と一緒にそれを見送り、リエルは身分の差を改めて実感した。いつもがおかしいだけで、本来の距離感は、これだ。
 
 シオンの姿が見えなくなるまで待ってから、侍女長は囁いた。
 
「先ほどの方が第二王子殿下ですよ。人嫌いで塔にこもりがちで縁談も片っ端から断っておいででしたが、最近、旅行に出て成長なさった……という噂があります」
 
 そういえば、「俺はもうすぐ自由の身を卒業するのだが、その前に思い残すことがないようちょっとした冒険の旅をしてきたんだ」と言っていた。あれはさては「政略上の縁談を受けるので独り身最後の自由を謳歌してきた」という意味だったのではないか。
 侍女長はシオンが向かった先を眩しそうな目で見た。

「あちらには王族の(びょう)があるので、そちらに向かわれたのでしょう。殿下のお母上様が眠っておられる場所ですからね」

 母君の墓参りだったのか――そう思った瞬間、頭が痛む。
 ぎくりとしたが、痛みはほんの一瞬で消えた。

「わたくしたちはそろそろ戻りましょうか。……あら、リエル。頭を押さえて……どうかしましたか?」
「……なんでもありません、侍女長」

 侍女たちが集まる執務室に移動して、侍女長はついでのように新しい仕事の話を切り出した。

「リエルの掃除能力の高さが耳に入ったのか、魔塔の統括であらせられる第二王子殿下が『新人の侍女を塔に招きたい』とご指名くださいました。社会見学だと思っていってらっしゃい。王族のお目に留まるのは光栄なことですよ」
「えっ、掃除をするんですか? 私ひとりで?」
 
 それを聞き、先輩侍女たちが心配そうにする。
 
「それ、大丈夫?」
「光栄ではあるんだけど……ねえ?」
「……第二王子殿下でしょう?」

(シオン様、評判悪いな……)
  
 しかも評判だけで悪く言われている。
 リエルは墓地で見かけたシオンを思い出しながら口を開いた。

「お気遣いありがとうございます。でも……第二王子殿下は、噂で言われるほど悪い方ではないと思います。どうか、ご心配なさらないでください」

 その言葉に、侍女たちは顔を見合わせる。

「リエル、魔塔で働いているのは魔法使いばかりよ。常識が通じない変わり者が多いって……爆発もするし」
「研究施設でしょう? 実験の失敗で部屋が吹き飛ぶ、なんて話も聞くわ」
「この前だって、魔塔の魔法使いが食堂まで来て、あなたに付きまとっていたじゃない。正直、心配なのよ?」

 次々に向けられる同情と不安の視線に、リエルは小さく息を吸った。

「ありがとうございます。本当に。でも、大丈夫です」

 爆発は正直ちょっと怖いが、好奇心もある。リエルは前向きな気分で新しい仕事に取り掛かることにした。
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