新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~

 青薔薇劇場は、重厚な建物だ。
 中は薄暗く、壁面に埋め込まれた魔導灯が湿った空気を照らしていて、大勢の観客が入り、賑やか。
 けれど、演劇が始まると全員が黙り込み、舞台に集中する。
 観劇の客席には独特の埋没感があって、リエルはそれが気に入った。
 
 劇場の演目は、天使の物語だ。

 天界の天使が、人間の王族と恋に落ちる。
 仲間の天使たちは反対したが、天使はそれを押し切って地上に降り、人間になる。

 反対していた天使のひとりは、天使の妹だった。
 姉を「一番好き」と慕う妹天使は、姉天使の「一番」が自分ではなく人間の男だと知り、泣いてしまう。
 嘆く妹天使に謝りつつ、姉天使は男を選んで天界を離れていく。
 妹天使は意気消沈して、男への嫉妬や姉天使への恨み事を口にして……やがて、舞台から消えた。

 その後、王妃になった姉天使と国王の間に生まれた王族の子孫は、天使の特徴を受け継ぎ、神聖な浄化の力を持った。
 その力によって国は栄え、繁栄は今も続いている。
 王妃は天界に感謝の気持ちを届けるための祭りを考え、青薔薇侯爵がその願いを叶えた。
 
 ――という筋書きだ。
 
 拍手をしながら、リエルは言葉にできない後味の悪さを感じた。
 
(残された妹天使は、その後、どうなったのだろう)

「リエル。劇は楽しめなかったかな」
「あ……いえ。見ごたえがありました。今日は一日ありがとうございました。楽しかったです」

 顔色を窺うように感想を問われて答えると、シオンは安心した様子で頰を緩めた。

「楽しんでもらえて嬉しい。良い思い出ができたよ。おかげで俺は、墓に入るときに『まあ、悪くない人生だった』って言える気がする」
「言おうと思ってたんですけど、そういうの、やめませんか……縁起でもないというか」
 
 彼が言うと、本気に聞こえてならない。本気なのだろう、と思うと、悲しくなってしまう。リエルが切なくなっていると、シオンは反省した様子で頷いた。
 
「そうだな。やめよう」
 
 長生きしてください。
 喉から出かかった言葉を、リエルはかろうじて飲み込んだ。
 彼とて、そうしたいに決まっているのだ。きっと。

    ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
  
 屋敷に戻るころには、さすがに疲れていた。

 自室に戻ると、ベッドに倒れ込むように横になる。
 
 考えすぎたのか、情報を詰め込みすぎたのか、自分でもよくわからない。
 静かな室内で寝具の温もりに包まれて、半ば夢見心地で考える。
 
 ――あの劇は、どうして妹天使をあんなふうにラストで印象強く出してきたのだろう。
 
 そう考えた瞬間、閃くものがあった。
 『アタシの故郷には、恋心を拗らせて堕天しちゃった天使の言い伝えがあるの』

「料理長の故郷の言い伝え……妹天使?」

 料理長エリシアーノは、以前教えてくれた。
 天界の住人である天使のひとりが人間と駆け落ちをして、それに嫉妬した別の天使が堕天使になった。そんな言い伝えだった。

『堕天使は真実の愛を求めながら、ひとりで苦しんでいるの』

 その言葉が胸の奥で不気味に反響した。

「待って……⁉︎」
 
 点と点が、音を立てて繋がる。
 リエルは飛び起きた。

「あの瘴気竜が妹天使なんじゃ……?」
 
 口にした瞬間、ずきっと頭が痛む。

「また……この頭痛」

 王都に来てから、何度目だろう。
 思考に触れてはいけない場所があるみたいに、考えがそこへ近づくと、痛みが走る。

 不安になって頭を押さえていると、窓の外に気配がした。
 視線を向けると、カーテンの隙間から幽霊の白猫ケイティが顔を見せている。

「……ケイティ。どうしたの?」
 
 窓辺に寄りケイティを迎えると、外の冷えた空気が新鮮に思えた。
 ケイティは室内の暖気を満喫するように暖炉の前に行き、ころんと転がってお腹を見せた。
 
「リエル。あたくしの毛並みを堪能することを、特別に許しますわ」
「ありがとう……?」

 お腹を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。リエルは暖炉の明かりと白猫の柔らかな毛並みに癒された。
  
「ねえ、リエル。今日の演劇には、続きがありますの」
「続編?」
「失恋した天使はね、恋する相手を追いかけて堕天したの」
「……」
「彼女は、雲の上で黒い瘴気竜になったのですわ。瘴気竜は雲を集めて、太陽から国を遮り、滅ぼそうとしているの」

 静かな声は、先ほどリエルが思い至った推理の答え合わせのようだった。
 怖がらせている口調ではない。まるで、昔から知っている出来事を思い出しているみたいだった。

「ケイティは、何者?」

 疑問がいっぱいだ。
 なんでも知っていそうで、何をしたいのかはよくわからない。でも、親しみを感じるし、味方だと思う。

 疑問を口にすると、ケイティは「みゃあお」と猫らしく鳴いて伸びをしてみせた。
 
「あたくしは、リエルのお友達ですわ。お友達ですから、今夜は一緒に寝ましょうか」

 ケイティはそう言ってリエルのベッドに飛び乗り、誘うようにもう一度鳴く。リエルはベッドに入り、抱き枕のようにケイティを抱いた。

「ねえ、ケイティ。ケイティは、なんでも知っているの}
「あたくし、あなたが幸せじゃなかったことすら、知りませんでしたのよ」
「……ケイティ。シオン様って」

 死んでしまうの?

 問いかけは、音にして伝えるのが怖くなってしまった。

「……ケイティ。私、あの方に元気でいてほしいの……」 

 代わりに紡いだ想いに、白猫は優しく寄り添ってくれた。

「あたくしも、いつもそう思っていますわ」
 
 布団も白猫も暖かくて、不安や怖さに疲弊した心が癒され、慰められる心地がする。

「あたくしの大切なお友達、リエル。あなたって、とっても人間的ですわね。疲れた夜は眠りなさい。睡眠は、心を癒してくれるのですから」
 
 優しい友達の声と温もりに引きずられるように、瞼が重くなっていく。
 リエルの意識はゆっくりと眠りの淵に沈んでいった。

  ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 そして、光返しの夜会(ルクス・レヴェランス)の日がやって来た。

 侍女仲間たちが準備を手伝うために集まっていて、リエルは椅子に座らされるなり、背後から髪をすくわれた。

「夜会用だからね。いつもの三つ編みは封印よ」
「ほどくよー、動かないで」

 慣れた手つきで髪紐が解かれ、櫛が通る。
 指先が絡まりを探すたび、くすぐったさにリエルは小さく肩をすくめた。
 編み上げられていく髪は、いつもより高い位置でまとめられて、細い後れ毛だけが頬に残される。

「うん、これならドレスに負けない」
「飾りは控えめにしよう。うちのリエルは顔立ちがきれいなんだから」
「お化粧映えする顔だと思ってたのよね。腕が鳴るわ」
 
 今度は正面に回り込まれ、白粉の匂いが近づく。
 ぽん、ぽん、と優しく叩かれるたび、肌が一段明るく整えられていくのがわかる。

「目元は……少しだけ。ほら、伏せて」

 睫毛に影が落ち、視界が一瞬暗くなる。
 最後に差し出されたのは、口紅だった。

「口紅、塗るね」
「……はい」

 そっと引かれた薄い桃色の口紅が、鏡の中の自分を知らない誰かに変えていくようで、リエルはどきどきした。
 侍女たちは満足そうに頷き合い、肩や襟元の皺を直してくれる。

「力作じゃない?」
「別人みたい……」
 
 皆の顔に、やりきった満足が浮かんでいた。
 リエルは小さく息を吸い、背筋を伸ばして鏡を見つめた。

「……」

(確かに、見違えるかも)
 鏡に映る自分は、『力作』だ。
 清楚な白色ドレスはスカート部分のベース生地の上に可憐な星模様のレース生地が重ねてあり、耳元で揺れるのは金色に輝く宝石が揺れる耳飾り。指には婚約指輪が填められていて、髪型や化粧もあいまって、高貴な姫君といった風情。

「ドレスもアクセサリーもかなり上質よね。リエルの恋人って上級貴族なの?」
「魔法使いって聞いてたけど、貴族のご令息なんじゃない?」
「あのたぬきが?」
 
 きゃあきゃあと賑やかにしていると、侍女長が呼びにくる。

「リエル。お迎えが来ましたよ」

 侍女たちが「お迎えですって」と一段と色めく。目をキラキラさせたみんなに背を押されて部屋を出ると、夜会衣装のシオンが待っていた。

 深紫の礼装には銀糸で星を思わせる刺繍が施され、胸元の魔塔星章が彼の地位を雄弁に物語っている。
 片目を覆う黒い眼帯は装いの一部のように溶け込み、同じ色の手袋やクラヴァットと合わせて、どこか禁欲的な魅力を醸し出していた。

「やあ、侍女の皆さん。俺のリエルがいつもお世話になっているね」
 
 美しい王子が微笑むと、リエルの背後で誰かが倒れる音と悲鳴がした。
 
「お迎えありがとうございます、ハルティシオン殿下」

 この人はそんな人物なのだ。
 答え合わせのように名を呼べば、彼は悪戯っぽく八重歯を見せて笑った。
 
「いつものリエルも可愛いが、ドレス姿もよく似合うね」
「……ありがとうございます」
「恋人にドレスや宝飾品を贈る男の気持ちが、初めてわかった。――いいものだ」

 シオンは嘘つきだ。
 けれど、この言葉は嘘ではない。
 
 それがわかるので、リエルは素直な喜びを溢れさせて、初々しい花のような笑顔を咲かせたのだった。
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