新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~


 小さなマントは、リエルを雪から守ろうとしてくれている。
 その下で守られながら、リエルは子供を見上げた。

 まだ幼い少年だった。
 蒼銀の髪が雪の中で揺れ、年齢に似合わぬ静けさを湛えた顔立ちをしている。
 指先は赤くなっていて、かすかに震えていた。

「だいじょうぶ? ……その、寒い?」

 気遣う声は幼いのに、どこか不思議な重みがあった。
 喋った拍子に、ほわっと白い息が口元に舞って、空気に溶けていく。
 澄んだ瞳に自分の姿が映っていることに気づき、胸の奥がわずかに騒めいた。

「……ありがとう」

 リエルがそう答えると、吐息が白くほわりと舞う。
 自分にも体温があり、世界はそれより冷えていて、だから吐息が白いのだ。
 そんなことを考えていると、子供がぱっと顔を明るくした。

「やっぱり天使様だ! 空から降りてきたもん! ぼく、シオン。この国の第二王子です」

(王子……)

「天使様! ぼくのお部屋に来てください。あったかいから」

 袖を引かれて、部屋に連れていかれる。

「シオン殿下。またおひとりで部屋を出ていらしたのですか? 護衛をお連れくださいとあれほど……きゃっ、その方は一体……⁉︎」
「ぼくのお客様! 天使様だよ!」
「て……天使……?」

 金色の髪をした若い侍女が迎えてくれて、リエルを見て驚いている。
 侍女は警戒と困惑の入り混じる視線でリエルの背中の羽を見て、「本物……?」と呟く。
 リエルはそっと羽を消してみた。

「……消え、ました……?」
「一時的に、隠しただけです」
「だ、誰か……」

 侍女は人を呼ぼうとしている。
(いけない、大騒ぎになってしまう……!)
 リエルは慌てて天使の力を使い、侍女を眠らせて「天使を見た」という記憶を消した。
 
 王子の部屋は暖かかった。
 
 王子というのは、高貴な身分のはず。それなのに世話をしたり護衛する人間がそばに付いていないのは違和感がある。
 だが、王子という肩書きよりも、リエルは少年の胸の奥から滲み出る深い悲しみと優しさの方に心を突かれた。

 シオンは、母を亡くしたばかりだった。
 彼の話によると、母王妃は病で伏せるように亡くなったと発表された。
 だが、シオンは知っている。母王妃は。

「奇跡を祈りすぎたんです」

 彼ら王族には天界出身の天使の血が継がれている。
 そのため、稀に天界と取引する能力者が現れるのだ。

「こうやって魔法陣を作って……ここが契約内容なんだって」

 王子は指先に光を(とも)し、光の線を空中に描いてみせた。
 
 ――この少年は、天界と契約を結ぶための魔法陣を描けるのだ。
 リエルは、言葉を失った。
 
 王子が「お母様がこれを作ってた」と言いながら描いた魔法陣は、人間側が奇跡の代償として命を削るような代物(しろもの)だった。

「殿下。この『代償として差し出せるものはなんでも』という部分は危険ですね。もっと文言を変えた方が安全になります。例えば、『命を失わない程度』とか……」
「生半可な覚悟だと、奇跡も代償相応になっちゃうって、お母様が」
「お母様がそのようなことを仰ったのですか……」

 瘴気竜の瘴気が空を覆い始めてから、この国がかろうじて滅びずにいるのは、王妃が魂を削りながら天界と取引を続けていたからだ。
 そして、王子の母王妃は実際に命を落としてしまったのだ。
 リエルの心がキュッと締め付けられる。哀れな、という思いが湧く。
 
「……お母様は、まだどこかにいる気がするんです」

 シオンはそう言って、胸を押さえた。
 蜂蜜色の瞳から悲しみが溢れて、ポツリと透明な涙が落ちる。

「夢に出てくるんです。泣いているみたいで……ぼく、何もできなくて」

 輪廻転生、という概念がある。
 死んだ後は天界に至り、そこで生前の生き方を振り返って魂を浄化し、転生するのだ。
 
 しかし、死んだ人間の魂の中には、稀に地上にとどまっていつまでも天界に来ないものがいる。その理由は様々だが、あまりよいことではない。
 迷える魂を救い導くのは、天使の務めだ。

「殿下……お母様の気配がする場所や、魂が残っていそうな場所が、わかりますか?」

 リエルが優しく問いかけると、王子はコクリと頷いた。

「こっち」

 案内してくれようとするので、リエルは少し迷ってから自分の姿を変えた。
 白い天使の羽を隠し、王城で王子と一緒にいても違和感の少なそうな侍女服姿になると、王子は目を輝かせて、感嘆の息を漏らした。

「私のこれは、人間の使う魔法とは少し性質が違うんですよ」
「そうなの?」

 城の敷地内を案内されてたどり着いたのは、墓地だ。王族用の廟に入ると、王妃の魂が留まっていた。

 白く淡い光は、慈愛に満ちていた。
 輪郭は曖昧で、その存在感は弱々しい。今にも消えてしまいそうだ。
 近づくリエルの耳には、未練の呟きが聞こえてきた。

『ああ、心配だわ、心残りだわ。この王国をもっと守りたかった。息子の成長を見たかった。息子が泣いていないか心配だわ』

 王妃の嘆きが胸に響く。
 これが人間の親――天界の大天使ジブリールを思い出しつつ、リエルは隠していた羽を出した。

「シオン殿下のお母様でいらっしゃいますね。私はあなたの国を救いにきた天使です。今から少しだけ、あなたに生者と過ごす時間を差し上げます」
『まあ……天使様……! 我が国を助けにきてくださったのですね……!』

 心の底から安堵した、というような声に、リエルは胸を突かれた。
 単身、命を削って王国を守り続けてきた王妃は、自分よりも力のある何者かが助けてくれるのを、おそらくずっと待っていたのだ。

「助けにくるのが遅くなって、ごめんなさい」
『いいえ、いいえ。きてくださって嬉しいです。ああ……よかった……!』
 
 嬉しそうな王妃の魂に微笑み、リエルは魂の輪郭を補強し、存在感を一時的に濃く変えてあげた。
 王子と似た色合いの蒼銀の髪は腰のあたりまで伸びていて、涼やかな目元もそっくりだ。美しい王妃は、たおやかな腕を広げて膝をつき、あどけない王子へと笑顔を向けた。

「シオン。お母様に会いに来てくれたの?」
「……お母様?」

 王子の蜂蜜色の瞳がめいっぱい見開かれて、透明な涙がうるうるとその瞳を潤ませる。
 
「お母様ぁっ……!」
 
 幼い王子は、母の腕へと飛び込んだ。母は我が子を大切に抱きしめる。
 別れを知りながら交わされる抱擁に、リエルは胸の奥が静かに締めつけられるのを感じた。
 
「シオン。つらい思いをさせてしまって、ごめんなさいね」
「ううん。ぼく、つらくない。ぜったい、ぜんぜん、つらくないよ」

 ふたりはしばらく語り合い、やがて、王妃は未練をなくして天界へ旅立てるようになった。
 
『天使様。これで安心して天に召されることができます。ありがとうございます』

 旅立つ母に心配をかけぬよう、幼い王子は口元を真一文字に結び、両手に硬いこぶしを作って耐えている。
 それがなんとも健気で、リエルは愛しくなった。
 人間とは愛おしい生き物なのだ――今なら、ジブリールが地上を愛する気持ちが理解できる気がした。
 
「天界は良いところです。あなたはゆっくりと休み、穏やかに輪廻転生への道を進むことができることでしょう」
『はい、天使様』

 王妃の魂は、最後にシオンの頬に触れる仕草をして、天へと昇っていった。
 母の輪郭が薄くなり、遠くなり、存在が感じられなくなると、王子は一度俯いてから、フリルがたくさんついた上質な生地の袖で目元をぐいぐいと拭った。
 次に顔をあげたとき、その顔にはもう涙はなかった。
 
「……ありがとうございます、天使様」

 シオンはしっかりとした声で感謝を唱え、リエルを見上げた。そして、笑顔を浮かべてくれた。

 その言葉と笑顔が、リエルの胸に深々と刺さって心を動かす。
 胸の奥から、使命感や勇気がふつふつと湧いてくる。
 
(怖がっている場合じゃない)

 リエルは、自分を叱咤した。あの王妃や、目の前の王子のために、瘴気竜をなんとかしなければ。自分はそのためにやってきたのだ。

 リエルは深呼吸をひとつして、王子に笑顔を返した。できるだけ頼もしく、凛然とした強くて立派な『天使様』に見えるように、と願いながら。
 
「……こちらこそ、ありがとうございます、シオン殿下。あなたとお母様が、私に勇気をくれました」

 リエルは空を見上げる。

 雲の向こう。
 あの黒い瘴気の繭。
 あの瘴気竜。

「私は、あれをなんとかします」

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