新米侍女は魔塔主殿下のお気に入り ~なぜか初恋の天使様と勘違いされて寵愛されています~

 決意を口にすると、それだけで自分が強くなれた錯覚がする。

(――行こう)
  
 翼を広げ、飛び立とうとした、その時。

「もう、もう。やっと追いつきましたわよ。探しましたのよ。お待ちなさいな!」
「えっ」

 可愛らしい声がして、天から白い影が落ちてくる。

「――ケイティ!」
 
 白猫の聖獣ケイティだ。
 地上の猫ほどの大きさで、思わず目を引く愛らしさがある。
 地に降り立つなり、ケイティはきっぱりと言い放った。

「あなたが、あの瘴気竜に敵うわけないですわ。相打ちにすらなりません。ただ一方的に消滅させられるだけよ」

 それを聞き、シオンが驚いた様子で声をあげる。

「そんなに、無謀なのですか」

 ――せっかく覚悟を決めたところだったのに。
 リエルはしかめっ面になった。

 シオンはその表情とケイティの様子から、「今言われたのは真実なのだ」と悟ったらしい。必死な顔でリエルに抱き着き、泣き出した。
 
「天使様、無理しないでください! 勝ち目がない戦いに挑んで死んでしまうのは、だめです!」

 利発で優しい王子だ。
 王子のまっすぐさに、胸の奥が静かに揺れた。
 思わず、その頭に手を伸ばしかけて――リエルは慌てて背を向けた。
 
「シオン殿下。 私、まだ生まれて一年くらいなの。未練を覚えるようなものが、なんにもない。人々を救って消えられるなら、本望です」

 別れようとした、その瞬間。

「……やだ」

 小さな声は、拒絶を唱えた。

   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
 
 幼い王子は契約魔法陣を描き、天に取引を持ち掛けた。
 それに対して、リエルは抗い、止めようとする。
 結果。
 奇跡は――歪な形で成就した。
 リエルは記憶を失い、気づいた時には幼い人間の娘として都市オルディナに立ち尽くしていた。

『ここはどこだろう。私、今まで何してたんだろう』

 雪がふわふわと降っていた。
 綺麗だけど、寒かった。
 
 体がどんどん冷えていき、放っておくと死んでしまう。
 だけど、どうしたらいいのかがわからない。
 おろおろとしていると、救いの手が差し出された。

『寒いでしょう。こちらへいらっしゃい』

 それが、今は亡き子爵夫人との出会いだった。  
 
(ああ、全てを思い出した)

 成長したシオンを前にして、リエルは胸を熱くした。
 王子は、初めて会ったときはもっと背が低くて、痛々しいくらいに傷つき、泣いていた。
 懐かしく、愛しい。
 
「シオン様。あなたはあのとき、お母様を真似して天に右目を捧げ、私を生かしたのですね」
「て、……天使様……」
 「今までずっと天と取引を繰り返し、ラクリマリア王国を守り続けていたのですね」
 
 なんて健気で、愚かで、可愛いのだろう。
 なんて弱々しくて、儚いのだろう。
 
 記憶を取り戻したことで、天使の能力もまた、全身に満ちていた。
 
 リエルは成長した第二王子の眼帯と右耳に順に触れ、失われた機能を天使の力で回復させた。
 眼帯を取ると、もともとの蜂蜜色から色彩を変えて、夜明けの空を思わせる綺麗な紫色に染まった右目が瞬きをする。これは、天使の力に影響されて染まってしまったようだ。
 おかげで右目は紫で、左目は金色。少し目立つ神秘的なオッドアイになってしまったけれど、見えないよりはいいだろう。リエルは満足した。

「見える……耳も……!」

 自分の回復を喜ぶシオンを見ていると、幸福感を覚える。
(ああ、私はこの方を回復させることができて、生かせる。なんて嬉しいんだろう)
 リエルは優しく微笑んだ。力を持つ者の余裕のある、上位者の微笑だ。目の前の王子は、今や庇護される側であった。

「シオン様。あなた様が命を落とす必要はありません。さあ、あとは私に任せておやすみなさい」
「……なっ……、てん……、リエル……!」
 
 天使様、と呼びかけそうになって、リエル、と言い直す彼が愛しくなる。
 
 リエルはくすくすと笑って白い腕を振り、天使の力で優しく王子を眠らせた。
 眠る王子をお姉さんの気分で見下ろして、リエルは自嘲した。

(私は天界の住人で、あの時消える覚悟だったのに。何もかも忘れて、この人に惹かれるなんて)

 何もわからなかった自分も、たまに天使扱いしてしまいつつ、リエルを人間の少女として扱おうとしていたシオンも、なんだか滑稽に思える。
 
 夢から覚めてしまった、と思った。
 少し切ない。
 甘酸っぱくて、楽しい夢だったから。
 
(でも、思い出せてよかった。危うく、この人が死んでしまうところだった)
  
 自分は天使で、彼は人間だ。
 思い出したからには、自分たちの関係はこれまで。

(目も、耳も。こんなにぼろぼろになってしまって。……もしあのとき、私と出会わなければ……私が怯えて逃げることなく、瘴気竜を退治できていたら……)
   
 自分の存在そのものが、彼の何かを壊してしまったのではないか。

 そんな考えが浮かび、リエルは慌てて首を振った。
 考えてはいけない。
 けれど、一度生まれた疑念は、胸の奥に沈んで消えなかった。

(せめて、今から幸せにしてあげたい。この命の灯を消さず、未来へと続かせてあげたい。もうがんばらなくても大丈夫だと安心させてあげたい)
  
 幽霊が未練を感じて地上にとどまる気持ちが、よくわかる。
 
 だめだとわかっても、願ってしまう。
 制御しがたい強すぎる想いが育まれてしまうことが、あるのだ。
 そして、それが負の方向に傾いた成れの果てが、天空にいる瘴気竜なのだろう。
 
(あの瘴気竜も、助けてあげたい)

 リエルが空へと視線を移すと、引き留めるようにケイティが声をかけてくる。
  
「心配していたわ、リエル」
「ケイティ……ずっとシオン様と一緒にいたんだね」
「あたくしは力が弱いから、何もできなくて。せめて、もしもの時には魂が迷わぬよう、導こうと思っていましたの」

 ケイティもまた、人間に並々ならぬ愛着を覚えたのだ。リエルの胸に共感と友情が溢れた。

「私はシオン様を死なせないよ」 
「あたくしも、あなたが思い出したらこの子を死なせずに済むかもしれないと思っていたところでしたわ。代わりにあなたは消えてしまうかもしれないから、すごく迷ったんだけど……」

 リエルは頷いた。やっとすっきりした。
 ケイティはシオンもジブリールも大好きで、どちらも失いたくなくて、迷っていたのだ。

「ずっと、今いる場所が自分の居場所じゃないなって思ってた。彼に惹かれていたけど、同時に、結ばれることはないと心のどこかで気づいてた」
  
 考えを整理するように口にすると、すっきりとした。
 未練にけりをつけて旅立つ幽霊たちも、きっとこんな気持ちなのだろう。
 
「さようなら、シオン様」

 別れを告げると、胸元のペンダントが決意を後押ししてくれるみたいに七色に光り輝いた。

 恐怖を知っている。
 逃げることができる。
 誰かに委ねることができる。

 それでも、リエルは一歩を踏み出す。

 使命だからではない。
 天使だからでもない。

 ――自分が、そうしたいと思ったからだ。
 
 天使は光を全身にまとい、飛び立った。

 向かう先は、雲の向こう。
 嫉妬に堕ち、けれど邪悪に染まり切れずに苦しみ続ける、瘴気竜のもとへ。
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