ハリボテロミオの夏の夢
「……蘭だが、足にヒビが入っているらしい」
そう言ったのは、監督だった。
突然の事故。
あの後、僕たちは会場の事前準備を終えると、学校に引き返してきていた。
稽古場には、重い空気が漂っている。
無理もない。まさか、こんな直前に主役が怪我なんて……。
「明後日の本番だが、蘭を出すことはできない」
「えっ……」
「じゃあ、どうするんですか?!」
稽古場がざわつく。
まさかこんなことになるなんて思っていなかったので、代役は考えていない。
なので、このままだと棄権するしかなくなる。
せっかく、ここまで頑張ってきたっていうのに……。
「それについては、蘭と話し合った。朱里」
「はい!」
突然、朱里さんの名前が呼ばれ、返事をして朱里さんは一歩前に出る。
監督は、蘭くんと何を話し合ったっていうんだろう。
「蘭は、お前が代役に相応しいと思う相手がいるなら、そいつに代役を任せたいと言っている。……誰かいるか?」
「蘭くんの代役……ですか?」
監督に言われて、朱里さんは少し目線を下ろした。
けれどすぐに元に戻すと、ぐるっとゆっくり部員の顔を見る。
その中で、ぱちっと僕と視線が重なった。
「どうだ?」
「ロミオ役、ですが……玲央くんにお願いしたいです!」
「え?」
再度、稽古場がざわつく。
当然だ。みんなからすれば、僕はただの照明係。
それなのに、いきなりロミオなんてそんな大役、できるわけがない。
一体、朱里さんは何を言ってるんだ。
「そんな、僕……ッ!」
無理です。
そう言おうとした時だった。
「……やります」
口が、勝手に動く。
「やらせてください!」
そう言って、僕の手はメガネのツルに指を添えて、ズレを直した。
……それは、アルがメガネを直す時の仕草だ。
(ちょっと、アル!何勝手なことしてるんだよ!!!)
「……」
いくら訴えても、僕の体に入ったアルは一切反応しない。
そう。どさくさに紛れて、アルが僕の手の甲にキスをして体を奪ったのだ。
「待て待て、そう言ってもだな……玲央は裏方なんだぞ?」
「セリフは全部は覚えています」
「あのなぁ……セリフを言えればいいってもんでも……」
「じゃあ、第2幕第1場をやってみましょう!」
そう言ったのは朱里さんだ。
朱里さんまで、何を考えてるんだよ!
「そうだな……。じゃあ玲央、やってみろ」
「わかりました」
そう言いながら、僕の体は勝手に稽古場にある舞台へと進んでいく。
朱里さんも、一緒になってスタンバイした。
お願い。
お願いだから、やめてよ!!!
「……すみません、玲央……でも、せっかくのチャンスなんです」
そう言って、アルは舞台の下手に回るとゆっくりみんなに姿を現した。
「言いたいようにいえばいい。奴らはこの痛みを知らないから好き勝手言えるんだ」
明かりに気がついて、アルが見上げる。
そこにいたのは、朱里さんだ。
「なんだ、あの光は?この方角は東、とするならばジュリエットは太陽だ!俺の思い人だ!!あぁ、なんと美しい瞳だろう。夜空にまたたく星に勝るとも劣らない。いや、きっと星の方が見劣りしてしまう。それほどまでに美しい」
「あぁ……ロミオ……ロミオ!あなたはなぜロミオなの?仇敵なのはそのお名前だけ。あなたがその名前を捨ててくださるなら、私も喜んでこの名前を捨てますのに……なぜ……」
「あぁ、なんて美しい声なんだ。もっと聞いていたい……」
アルの演技も、レテ同様にすごかった。
一つ一つの動きがとても丁寧で、なおかつ声の出し方が上手い。
ジュリエットに優しく話しかけているのに、しっかりと全体に声が届くのだ。
朱里さんとの息もぴったりで、いつしか部員みんなが、二人の演技に魅入っている。
こんな時でなければ、僕だって二人の演技が見たいと思うほどに。
でも、
頼む。
頼むから、
やめてくれ!!!!
そんな僕の願いも虚しく、アルは最後まで完璧にロミオを演じ切ってしまった。
ぱち。
ぱちぱちぱちぱちぱち。
演じ終えると、自然に拍手がわく。
「どうですか?監督!」
そう聞くのは朱里さんだった。
けれど、答えはもうわかりきっている。
「……そうだな。玲央、お前に代役を任せる」
「はい!よろしくお願いします」
(ッ……!!!)
自分の声なのに、どこか遠く聞こえる。
あぁ、きっと……絶望って、こういうことをいうんだろう。