ハリボテロミオの夏の夢
えっと……後で台本をもう一回読みつつ、照明の移動のイメトレして……。
そんなことを考えながら、僕は慣れた手つきで玄関の鍵を開ける。
「……ただいま」
返事はない。
当然だ。この家には、僕しかいないんだから。
そういうものだからという理由だけで、ただいまといつも通り挨拶をして、僕は家にはいる。
すると、
「ッ……!」
そこには普段置いていない真っ赤なピンヒールが、乱雑に脱ぎ捨てられていた。
こんなことをする人は、一人しかいない。
「はぁ……」
マジか。なんでこんなタイミングで……。
体がどっと重くなる。僕は深くため息をついて、渋々靴の持ち主がいるであろうリビングへ向かった。
「……珍しいね。帰ってたんだ」
「うーん、ちょっとねぇ……」
僕のことを一切見ることなく、リビングのソファで横になって、ペラペラと次の映画かなんかの台本をめくりながら返事をしたのは、ハリウッド女優の瀧 彌生。
……僕の母親だ。
瀧は旧姓で、今でも母は旧姓のまま活動を続けている。
ちなみに、父親はこれまた国内外で様々な賞を受賞している超有名監督の守田 彰だ。
なので、僕はいわゆるサラブレッドってやつだったりする。
……認めたくないけど。
久しぶりに見る母の顔。けれどそれは、母というよりもテレビやスマホの画面上で見る有名人だった。
一年のうちに数回しかこうやって実際に顔を合わせないんだから、当然といえば当然だ。
それにここへ来たとしても、この調子だし……。
なので、これと言って母に話すこともないので、僕はそのまま自室のある二階へ向かおうとした。
のだけれど……、
「ねえ」
呼び止められてしまって、仕方なく僕は顔だけ母に向ける。
そんな母の視線は、相変わらず台本の文字を追っていた。
「玲央はもう中学3年だったよね?」
「……そうだけど」
自分の息子の学年さえ、この人は覚えていない。
本当、この人は僕に全く興味がないんだろうな。
なのに、
「進路、どうする?」
「ッ……!」
こういう時ばかり、母親面をする。
……都合がいいにも程がある。
僕に、なんの期待もしてないくせに。
「……近くの公立に行く予定」
「……そう」
なんだよ。「そう」って。
息子の進路の話をしに来たんじゃないのか?
そう思ったけれど、母の目線は一切台本から切り替わることがない。
「……じゃあ、僕上がるから」
これ以上、会話のするつもりがない母に付き合う時間はない。
早く自分の部屋へ行って、台本を読もう。
そう思ったのに、
「あぁ、それと……、玲央ってあそこの演劇部だったよね?」
母はまだ、会話を続けるつもりらしい。
「……そうだけど」
僕はぶっきらぼうに答えた。
正直、早く会話を終わらせたくて仕方ない。
「旧校舎って、まだ残ってる?」
「……あるよ」
それがどうしたっていうんだ。
いつものことではあるけれど、母の考えていることはよくわからない。
「ちょっと頼み事があるんだけど」
そう言って、母はようやく台本から視線を外したかと思うと、ゆっくり体を起こす。
そしてソファの横に置いてあった縦長の紙袋を、ぐっと僕に押し付けた。
「旧校舎に演劇部が昔使ってた稽古場、あるでしょ?あそこの神棚にこれ供えといてくれない?」
「は?」
なんだそれ。
なんだって僕がそんなこと……!」
そう即座に言い返そうとしたけれど、母はそれよりも早く「よろしくねぇ」と言って手をはらりと振ると、またソファへ座って台本に目を落としてしまった。
文句が喉元まで出かかったけれど、こうなったこの人に何を言っても無駄なのは、15年の人生経験ですでに学習済みだ。
だからと言って、腹が立たないわけではないので、大きく息を吸って僕は溢れ出そうになった言葉を飲み込む。
そしてせめてもの反抗に、僕は母の顔を睨みつけて、足早に自室へと向かった。