それぞれの幸せ

第2節 桐生百合香『知らない街で』

 午後三時を少し回った頃。

 桐生百合香は、新幹線の自由席に座っていた。

 指定席を取ろうとは思わなかった。
 これから自分がどこで暮らすのかも、どんな仕事をするのかも、まだ何ひとつ決まっていない。頼れるあても、迎えてくれる誰かもいない。

 しばらくは、手元にある貯金を切り崩して生きていくしかないのだ。

 だから、少しでも節約したかった。

 幸い、車内は思っていたほど混雑していなかった。
 窓際の席へ腰を下ろした百合香は、膝の上にバッグを抱える。

 その中には、愛猫しろの遺骨が納められた骨壺が入っていた。

 何度も抱き締めて、何度も撫でた、小さな骨壺。
 もう鳴くことも、甘えてくることもない。

 けれど、置いていくことだけは出来なかった。

 雄ちゃんが用意してくれた部屋に。
 あのマンションに。

 自分だけが消えたあと、しろまで残していくなんて、どうしても無理だった。

(ホントは……)

 しろだって雄二との思い出のひとつだ。

 アクセサリーも。
 写真も。
 思い出に繋がるものは全部置いてきた。
 なのに、この子だけは連れてきてしまった。

(だって、しろは……)

 百合香にとって、しろはただの飼い猫ではなかった。
 雄二と一緒に育てた、大切な家族――。
 そんな可愛い我が子を、置いてくることだけはどうしても不可能だった。

 百合香は窓の外へ顔を向ける。
 流れていく景色を見ているつもりだった。
 けれど実際には、何も見えていなかった。

 トンネルに入る。
 暗くなる。
 窓ガラスに、自分の顔が映る。

 少し疲れた顔をしていると思った。

 トンネルを抜けると、街並みが流れていく。
 家々の屋根。
 ビルの壁。
 たくさんの建物のひとつひとつに、誰かの営みや生活があるんだろう。
 山が近付いてきて、また、トンネル。

 その繰り返しの中で、百合香はぼんやりと朝からの出来事を思い返していた。

 芽生(めい)と京介の結婚披露宴。
 大好きな男性の隣で、幸せそうに笑う花嫁。
 少し照れくさそうで、それでもどうしようもなく嬉しそうだった花婿。

 ブーケトスで芽生から受け取った、薄桃色のチューリップ。

 〝次は百合香さんの番です!〟

 声こそ掛けられなかったけれど、ブーケを受け取った百合香を見て笑った芽生からは、そんな想いが溢れているように感じられた。
< 113 / 122 >

この作品をシェア

pagetop