それぞれの幸せ
 仕事の相談。
 何気ないやり取り。
 帰りが遅くなるという連絡。
 会いたいという言葉。
 会えないという言葉。

 全部、この中に残っている。

 だから、旅立ちを前に電源を落とした。

 雄二と本気で離れるつもりならば、解約しなければならない。
 そうしなければ、本当の意味で雄二から離れられないと分かっていた。

 百合香はしばらく迷った末、電源ボタンを押す。
 暗かった画面に明かりが灯った。

 起動が終わった途端、通知が一斉に流れ込んでくる。

 着信履歴。
 メッセージ。
 留守番電話。

 その多くに並んでいたのは、見慣れた名前だった。

 ――雄ちゃん。

 胸がきゅっと締め付けられる。

 見ないつもりだった。
 聞かないつもりだった。
 それなのに、指先は勝手に画面へ伸びてしまう。

 けれど。

(ダメ……)

 百合香は小さく首を振った。

 今、雄二の声を聞いたら、きっと決意が揺らいでしまう。

 震える指で再び電源ボタンを長押しする。

 画面が暗くなった。

 それを確認してから、百合香は小さく息を吐く。

 スマートフォンをバッグへ戻し、最後にしろの骨壺をそっと取り出した。

 白い布に包まれた小さな骨壺。
 百合香はそれを両手で包み、しばらく見つめた。

「……しろ」

 名前を呼んでも、返事はない。

 分かっている。
 分かっているのに、声に出さずにはいられなかった。

 マンションを出る時、しろだけは置いていけなかった。

(雄ちゃんからもらったアクセサリーも、時計も、指輪も。全部、置いてきたのに)

 あの部屋に。
 あの人のそばに。

 それなのに、しろだけは連れてきてしまった。
 そうして、考えてみればこのスマートフォンも……。

 どちらも、本当は置いてくるべきだったのかもしれない。

 未練だ。

 そう呼ばれても仕方がない。
 けれど、どうしても出来なかった。

 本当は、雄二のことも置いていきたくなかった。
 最後までそばにいたかった。

 けれど、それはもう出来ない。すべきじゃないと心に決めた。

(私にはしろしかいなかったけど……百香(ももか)ちゃんから、お父さんまで取り上げちゃダメだよね)

 雄二には、正妻との間に血を分けた我が子がいる。その子と奥さんのためにも、自分は雄二のそばから離れるべきなのだ。

(私のしろはもう……死んじゃったもの……)

 百合香は骨壺の表面を、指先でそっと撫でる。

「……ごめんね」

 それが誰に向けた謝罪なのか、自分でも分からなかった。

(しろに?)
(雄ちゃんに?)
(それとも、自分自身に?)


 机の上へしろの骨壺を置き、百合香はベッドの端へ腰を下ろした。
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