それぞれの幸せ
 静かな室内に、携帯のバイブ音が耳障りに響く。
 それは実家の固定電話の線を抜き、父の携帯の電源も落としたあとに始まった、雄二自身の携帯への着信だった。

 この番号は仕事の連絡先も兼ねている。迂闊(うかつ)に電源を切るわけにもいかず、マナーモードにしたのだが――こうもしつこいと、バイブ音でさえ神経に障る。

 いっそサイレントモードに切り替えたほうがいいかもしれない。

 画面の着信履歴には、見知らぬ番号がいくつもいくつも連なっていた。

 初っ端に掛かってきた時だけ、仕事絡みかもしれないと出てしまったのだが、こちらが「もしもし?」と告げる間もなく、耳障りな声が届いた。

『――千崎(せんざき)雄二(ゆうじ)さんの携帯で合ってますかぁ? 幸太郎さんの息子さんの。わたくし、ネクサスファイナンスの者です。お父さまの件でご連絡させていただきましたぁ』

 口調こそ丁寧だが、ねっとりと間伸びした抑揚で、雄二は相手が〝どの筋〟の人間かを悟った。
 銀行員という職業柄、表では〝経営者〟を名乗りながら、裏で汚れた金を動かすような人間も見てきた。
 だからこそ、分かる。――これは、その手の声だ。

 雄二は話すだけ無駄だと、言葉を返すより先に通話を切った。

 すぐさまその番号を着信拒否に設定したが、相手は番号を変えては何度も掛け直してくる。いたちごっこのようなその繰り返しに、母が怯えたように顔を歪めた。
 このままでは母親に余計な負荷を掛けてしまう。そう判断した雄二は、携帯をサイレントモードにしてから、テーブルの上へ伏せ置いた。もう仕事の電話なんてクソ喰らえだと思った。
 そもそも自分は『あすな』とは縁を切るつもりだったではないか。

(しかし……どうして、やつらが俺の番号を知っているんだ? まさか父さんの携帯から……?)

 ふとそう思ったけれど、父の携帯は――電源を落としたまま、今まさに雄二のスマートフォンのすぐそばへ置かれているのだ。

 だとしたら……。
(誰かが、意図的に流した……?)
 そうとしか思えなかった。


***


 ――嫌な予感がする。
 その直感を振り払うように、雄二が立ち上がったとき、玄関の戸が叩かれた。
 インターホンはあえて電源を抜いて使えなくしてあった。それは、今は亡き幸太郎の仕業だ。それだけろくでもない連中が実家(ここ)(おとな)っていたということだろう。
 小さな音だったが、夜の静けさの中で、その音はやけに大きく響いた。

(やつらか?)
 規制線テープは貼られたままだが、警官たちは引き上げたあとだ。
 狡猾な闇金業者のこと。どこかでそのさまを虎視眈々と観察していた可能性は十分にある。
 だが、あの連中にしては戸の叩き方が控え目だとも思った。
 それでも一応用心をして、母親と二人で息を殺して玄関の様子を(うかが)っていたら、
「雄ちゃん……?」
 外から小さく雄二の名を呼ぶ声がした。
 戸を開けるまでもなく分かる。百合香だ。
 八重子がホッとしたように肩の力を抜いたのを横目に、雄二は大股で玄関へ向かうと、鍵を外して玄関扉をカラカラと引き開けた。
 工場の外壁へ取り付けられた裸電球の明かりを背に、海風にコートの裾を揺らしながら百合香が立っていた。
 季節は晩夏を過ぎ、朝晩は肌寒い初秋。百合香は薄手のコートの前をギュッと握りしめて雄二をじっと見上げてきた。
 招かれざる訪問者へ在宅を知らせたくなくて、玄関灯も廊下の電気も、部屋の明かりさえもすべて切ったままだった。
 母と息をひそめて座っていた居間も照明をつけていない。
 いつの間にか日が落ち、真っ暗になっていたことを百合香の訪問で気付いたくらい、家族を失った二人にとって明かりは必要なかったのだ。
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