それぞれの幸せ
 自らの意志で雄二のそばを離れたくせに、きっとそんなことを(こいねが)ってしまっているから、ありもしない気配を感じてしまうに違いない。
(ホント、未練たらしくてダメね)
 そう自分へ言い聞かせると、百合香はそのまま歩き続けた。手に下げたしろへのお土産が、百合香の歩調に合わせるようにゆらゆらと揺れる。

 三十分ほど歩いた頃、駅前のショッピングモールが見えてきた。

 館内へ入ると、目的のDOCONOショップはすぐに見つかった。
 朝、調べ物がてら、スマートフォンの電源を入れた時に予約を取っておいた。受付機で『予約有りの方』で受付を済ませ、順番を待つ。
 手にした番号札は三番。

 待っている間に、今日の用件や携帯番号などの基礎情報を記入する用紙を渡された。
 百合香はそれを埋めながらふと手を止める。
(住所……)
 不定というのは良くないだろう。
 少し考えて、元の住所を書いて、かっこ書きで「引っ越し予定あり」と書き添えた。

「三番でお待ちの方」
 呼ばれて、番号札と記入済の紙片を手に案内された席へ腰を下ろす。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
 百合香は鞄の中から携帯電話を取り出した。
「あの……この携帯を解約したいんです」
 解約手続きをするには、電源を入れなければならない。
 指先へ自然と力が入る。
(大丈夫……)
 もうここまでは来てしまった。
 今さら迷っても仕方がない。
 百合香は静かに電源ボタンを長押しした。
 画面が明るくなる。
 次の瞬間、また通知が次々と流れ始めた。
 着信、留守番電話、ショートメッセージ。
 アプリのアイコン横に赤丸に囲まれた数字だけが増えていく。
(見ない)
 百合香は心の中でそうつぶやいて、通知欄から目を逸らした。
 どんな言葉が届いているのか。
 プレビュー機能をオフにしているため、誰からの連絡なのかすら分からない。そのまま通知には触れず、ないもののように扱って、店員へ携帯電話を手渡した。
 店員は百合香から機種を受け取ると、先に記入済の用紙を手に、契約情報を確認し始めた。
 ほどなくして、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「恐れ入りますが、こちらのご契約者様は桐生(きりゅう)様ではございませんね?」
「……あ、はい……」
「申し訳ございません。ご契約者様ご本人でなければ、解約のお手続きは承ることができません」

 百合香は小さく息を呑んだ。
(そうだ……)
 この携帯は、雄二が契約して渡してくれたものだった。
 名義も所有者も、雄二。
 自分のものではない。

「なお、新しい番号をご契約いただいて、この端末をご利用いただくこと自体は可能です。ただ、その場合も現在のご契約には手を加えられませんので……」

 店員は丁寧に説明を続ける。
 いわく、解約せずに新しい契約だけを結び、この機種へ新しい番号を設定することは可能だという。

(でも……)

 百合香は手の中の携帯電話へ視線を落とす。
 その場合、使えもしない番号のために、契約者は利用料を払い続けることになるらしい。

 雄二のものに、自分の都合で新しい番号を上書きしてしまうことは、やはり気が引けた。

(もう、雄ちゃんに甘えちゃダメ)

「……これはこのままにして……新しい機種での新規契約をお願いします」
「かしこまりました」

「あの、使えればいいので……一番お安いもので大丈夫です」

 そう言った瞬間、少しだけ胸が痛んだ。
 予定外の出費になる。

 それでも――。

 これが、新しい人生を始めるための必要経費なのだと、自分へ言い聞かせた。

 新しい番号。
 新しい携帯電話。

(ここから、新しい私になろう)

 そう胸の奥で静かに誓った。
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