それぞれの幸せ
 それだけだ。
 それだけで、会える。

 雄二は何度も身体を起こしかけた。
 そのたびに、拳を握って自分を押し留めた。

 動くな。
 今夜だけは、動くな。

 会いたいからこそ。
 抱き締めたいからこそ。
 離したくないからこそ。

 今夜だけは、会いに行ってはいけない。

 雄二は目を閉じる。
 眠りは来なかった。

 ただ悶々と、朝だけを待った。


***


 夜が明けた。

 結局、一睡もできなかった。

 カーテンの隙間から差し込む淡い光を見つめながら、雄二は起き上がった。
 洗面所で顔を洗い、鏡を見る。

 やはり、ひどい顔をしていた。
 それでも、もう待つ必要はない。

 携帯が震えた。
 佐山からだった。

『部屋から出られました。おそらくは朝食へ向かわれたものと』

 佐山から届いた短い報告を確認すると、雄二はすぐ部屋を出た。

 エレベーターで一階へ降り、そのままロビーのラウンジへ向かう。

 朝食会場へ向かったという百合香の姿は見えない。
 だが、佐山が見失っていない以上、まだホテルの中にいるはずだった。

 雄二は人目につかない場所で静かに待った。

 会いたい。
 今すぐ会いたい。

 それでも、この数十分すら待てなければ、昨夜、自分を抑えた意味がなくなる。

 時間だけがゆっくりと過ぎていく。

 朝食を終えたと思しき宿泊客たちが、外出のためにちらほらとロビーへ降りてきた。

 観光へ向かう夫婦。
 仕事らしいスーツ姿の男。
 家族連れ。

 自動ドアが開いては閉じ、開いては閉じる。

 そのたびに雄二の視線は自然と入口へ向いた。

 そして――。

 肩へ小さなバッグを掛けた百合香が、ゆっくりと姿を現す。
 その手には、新しい携帯電話が握られていた。

 少し(うつむ)きがちに歩くその姿を見た瞬間、雄二は息を呑んだ。

 いた。
 ずっと探していた人が、そこにいた。

 ――百合香。

 名前を呼ぶ前に、喉が詰まった。
 胸の奥が焼けるように痛い。

 それでも雄二は、一歩踏み出した。

「百合香」

 百合香の肩が震えた。
 ゆっくりと振り返る。
 目が合った。

 驚き。
 戸惑い。
 逃げたいという衝動。

 そのすべてが、百合香の瞳に浮かんだ。

 次の瞬間、百合香が身を翻す。
 雄二は迷わず追った。

「百合香」

 逃がしたくない。
 けれど、傷付けたくもない。
 距離を詰め、伸ばした手が百合香の腕を掴む。
 百合香の身体がびくりと跳ねた。

 雄二は力を込めすぎないよう、必死で自分を抑えた。

 百合香が振り返る。
 すぐ目の前に、彼女の顔があった。

 青ざめている。
 泣きそうで、でも泣かないように堪えている。

 雄二は、その顔を見た瞬間、言葉を失いかけた。

 けれど、最初に言うべきことだけは決まっていた。

「……頼む。逃げないでくれ」

 百合香の瞳が揺れる。
 雄二はその細い身体を、ゆっくりと抱き締めた。

 腕の中に、確かな体温がある。

 百合香が生きている。
 ここにいる。

 それだけで、胸の奥が潰れそうだった。

 雄二は震える息を吐き、百合香の髪に顔を寄せる。

「迎えに……来た」

 腕の中で、百合香が小さく息を呑んだ。
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