それぞれの幸せ
 きっと芽生は、百合香の幸せを願ってこれを自分の方へと放ってくれたはずだ。それを受け取っておきながら、ないがしろにしてしまったという罪悪感がふつふつと込み上げてくる。
 綺麗だったあのブーケも、ちゃんと花瓶に生けていたならば、今も愛でることが出来ていたかもしれない。

 小さく吐息を落とすと、百合香は気を取り直すようにバッグを開けた。

 そっと取り出したのは、しろの小さな骨壺だった。

「しろ。お家に帰って来たよ」

 彼がなくなって以来、定位置になっていた棚の上へ戻して、「しろ」と書かれた白い骨覆いの上から優しく撫でる。

 下関で買ったふくの瓶詰を置くと、百合香は食器棚へ向かった。出るときに洗って仕舞っておいたしろ愛用の器にドライフードと水を入れると、一緒に供える。

「下関で買ったのと、いつものごはん。ゆっくり食べてね」

 手を合わせながら、自然とそんな言葉が漏れる。
 しろがいなくなってから、毎日朝晩同じことをしていた。

 ――戻って来たんだ。

 そんな実感が胸いっぱいに広がっていく。
 目尻へ滲んだ涙をそっと拭った、その時だった。

 ――ピンポーン。

 静かな部屋へ、控えめなチャイムの音が響いた。
「……え?」
 百合香は思わず顔を上げる。
 今鳴ったのは、《《部屋前の》》チャイムだった。

(どうして……?)

 このマンションはオートロックだ。
 来訪者が部屋を呼び出し、住人が解錠して初めて建物内へ入ることができる。
 だから、呼び出しもなく、いきなり部屋前のチャイムが鳴ることなんて、本来はあり得ない。
 ――それができるのは、部屋の鍵を持っている人だけ。
 百合香のほかには、ここの合鍵を持っている雄二にしか出来ないはずだった。

(雄ちゃんはここにいるのに……?)

 インターフォンのモニターを確認しなきゃ! と思って百合香が(きびす)を返しかけた、その時だった。
 電話を終えた雄二がスマートフォンをポケットへしまいながら「俺が出る」と、百合香を制した。
 雄二はまるで訪問者の目処(めど)がついているみたいに、モニターを見ようともせず玄関へ向かった。
「ゆ、雄ちゃん?」
 百合香は、慌ててその背中を追った。

 雄二が何の躊躇いもなく扉を開けると、そこに立っていたのは、大きな紙袋を抱えた佐山(さやま)文至(ぶんし)だった。

「お疲れさまです」

 佐山は軽く頭を下げると、紙袋を雄二へ差し出した。

「頼まれていたものです」
「ああ」

 雄二は短く答え、それを受け取る。

「佐山くん……?」

 百合香が顔を覗かせると、佐山は穏やかに笑った。

「お帰りなさい、百合香さん」
「……あ、あの……ただいま?」

 言われて思わずそう返したけれど、事態が呑み込めなくて、語尾が上がってしまう。

 そんな百合香に、佐山はちょっとだけ笑うと、それでもどこか安心したように目元を緩めた。
「……その言葉が聞けて、本当に良かったです」
 心の底からそう思ってくれているんだろう。
 百合香が佐山に「心配かけてごめんね」と謝ったら、佐山に「俺の方こそすんません」と頭を下げられる。
「お前ら、またそれか」
 雄二が呆れたようにつぶやいて、佐山と二人、顔を見合わせてどちらからともなく笑う。
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