それぞれの幸せ
「……俺、昔、オヤジと約束したんです」
 雪絵は黙って続きを待つ。
「雪絵さんが不幸になるようなことがあったら、その時は黙っていませんって」
 一度言葉を切る。
「今日は、その約束を守りに来ました」

 雪絵は息を呑んだ。

 二十年前――。
 自分のそばを離れると決めた時から。
 三井は、ずっとその約束を抱え続けていたのだ。

「もしかして……私のこと、ずっと見てたり?」
 確信はなかったけれど、何となくそんな気がした。
「……はい。……って、なんか気味が悪いですよね。すみません」
「……そうね」
 雪絵がふふっと笑いながら肯定したら、三井が困ったように眉根を寄せる。その表情もなんだか懐かしい。
 三井は雪絵が幼いころ、彼を困らせるたびに今みたいな情けない顔をしていた。
「でも……三井に見守られるのは慣れてるから……別に構わないわ」
「……雪絵さん」
「できれば……今みたいに面と向かって声を掛けて欲しかったけど……」
「……すみません」
「困らせてごめんね。……冗談よ」
 それは出来なかったのだと、雪絵だって分かっている。
 雄二との婚姻関係がうまくいっていたならばきっと……三井は一生雪絵の前には姿を現さなかっただろう。
「一緒にコーヒー飲む?」
「いえ、それより……少しだけドライブしませんか? 昔みたいに……」
 そう告げられて、雪絵は「でも……」と言いかけて、少しだけ考える。
「娘を……百香を佳代おばちゃんに預けているの……。だから」
 あまり長くは付き合えないと言外に含ませると、「それも承知しています」と返ってきた。
「オヤジから頼まれてます。雪絵さんを拾った後、姐(あね)さんと百香ちゃんを拾って帰ってくるように、って」
「えっ?」
「千崎が雪絵さんとは別れるって俺に言ってきました。だから俺は筋を通すためにオヤジへ話しに行ったんです。約束通り、もう黙って見ているのはやめにさしてもらいます、って」
 やっぱり三井も〝筋〟を通す人なのだ。その生き方は、昔から何ひとつ変わっていない。
「そう……」
 そうしてそんな男たちに囲まれて育ってきた雪絵自身もまた、この世界からは離れられないんだろうな、と思った。


***


 三井に促されるまま店を出ると、路上のパーキングメーターへ、一台の黒いセダンが停められていた。
 雄相会(ゆうそうかい)の車だ。
 雄二がいつも乗っていた車とは違うけれど、事務所前で何度も見掛けた覚えがある。

 三井は何の迷いもなく、運転席後ろのドアへ手を掛けた。
 昔と同じだった。
 雪絵を乗せる時は、いつだってそこ。
 万が一事故に遭った時、一番安全だと言われている席だからだ。

 けれど雪絵は開けられた扉を見つめ、それから三井を見上げた。

「ねぇ」
「はい?」
「ドライブに誘ってくれたのに……私、後ろなの?」
 三井が固まる。
「あ……」
 しまった、という顔だった。
「す、すみません。つい……」
 雪絵はくすりと笑う。
「今日は隣がいい」
 その一言に、三井は照れくさそうに頷いた。
「……はい」
 助手席の扉を開け直す三井に軽く笑って、雪絵はそこへ腰を下ろした。

 雪絵がシートベルトを装着するのを確認して、運転席へ三井が乗り込んでくる。

「昔みたいに三井が運転するの?」
 三井も、雪絵の付き人をしていた頃と違って、今は雄相会(ゆうそうかい)で結構上の地位にいるはずだ。普通なら運転手がついているものなのに、と思って小首をかしげたら、「はい」と即答された。
「運転手さんは?」
「今日は休んでもらいました」
「そう」

 それだけなのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
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