それぞれの幸せ
「……雪絵さん?」
三井の声に顔を上げる。
「どうしました?」
「……ううん」
反射的にそう答えたものの、すぐに小さく首を横へ振った。
「……ごめん」
三井が黙って雪絵を見る。
昔からそうだった。
雪絵が自分から話し始めるまで、無理に聞き出そうとはしない。
そんなところも、変わっていない。
雪絵は木箱へ視線を落としたまま、小さく息を吸った。
「……私ね。百香に嘘をついたの」
三井の表情がわずかに変わった。
「嘘、ですか?」
「うん」
どこから話せばいいのか分からなくて、雪絵は少しだけ考える。
「私、雄二さんと結婚するときに言ったの。……愛人は認めるって」
三井は何も言わない。
「でも、その代わりに……子供は私との間だけにしてほしいって……そんな条件を突きつけた」
それが雪絵の出した最大の譲歩だった。
雄二を愛していた。
だけど雄二には別に、愛する女性がいることも知っていた。
それでも、どうしても雄二と結婚したかった。
だから、彼女の存在には目を瞑る。
その代わり――子供だけは。
家族だけは、自分だけのものにしてほしいと……そう告げた。
了道の前で娘同然として可愛がられてきた自分がそこまですれば、雄二が断れないことを分かっていて、彼を絡め取った。
「雄二さんは、その約束を守ってくれた」
少なくとも、その約束だけは一度たりとも違えなかった。
雄二は愛人との間に子供を作ることはなかった。
「なのに私……」
声が少し震えた。
「百香の名前に、あの人の愛人の名前が入っているって知った時……どうしても許せなかったの」
百香。
雄二が付けてくれた娘の名に、百合香の名から取ったと思しき、〝百〟と〝香〟の二文字が含まれていると知った時、言いようのない怒りがこみ上げた。
「愛人がいることは、最初から知ってたのに。私がそれでもいいって言ったのに。なのに……娘の名前にその人を重ねられていたことだけは……どうしても許せなかった」
三井の手が、ハンドルの上でわずかに動いた。
「それで……離婚を?」
「うん」
雪絵は小さく頷く。
「でもね、百香にはそんなこと言ってないの」
「……」
「了道おじちゃんが言ったの。本当のことを説明しようと思ったら、私と雄二さんがどういう約束で結婚したのかまで話さなくちゃいけなくなるって」
雪絵は唇を噛んだ。
「私たち……相思相愛で結婚したわけじゃなかったから」
少なくとも、雄二にとって、雪絵は恋愛対象ではなかった。
雪絵が望んで、周囲がそれを認めて、雄二が条件を呑んで夫婦になった。
「そんな話を百香にしたら……あの子、自分は愛のない両親の間に生まれたんだって思うかもしれない」
それが怖かった。
自分が望まれて生まれてきた存在ではないのかもしれないと、百香が疑ってしまうことだけは避けたかった。
「だから……全部、雄二さんに押し付けることにしたの。彼が、娘を愛していたことは分かっていたから……絶対呑んでくれるって確信があったの」
三井の眉がわずかに寄る。
「離婚するのは、雄二さんに愛人がいたから。お母さんは被害者で、お父さんが全部悪いって……そういうことにした」
「千崎は……それを?」
「もちろん、受け入れてくれた」
雪絵は苦く笑う。
「〝百香のためなら、それでいい〟って」
雄二らしいと思った。
三井の声に顔を上げる。
「どうしました?」
「……ううん」
反射的にそう答えたものの、すぐに小さく首を横へ振った。
「……ごめん」
三井が黙って雪絵を見る。
昔からそうだった。
雪絵が自分から話し始めるまで、無理に聞き出そうとはしない。
そんなところも、変わっていない。
雪絵は木箱へ視線を落としたまま、小さく息を吸った。
「……私ね。百香に嘘をついたの」
三井の表情がわずかに変わった。
「嘘、ですか?」
「うん」
どこから話せばいいのか分からなくて、雪絵は少しだけ考える。
「私、雄二さんと結婚するときに言ったの。……愛人は認めるって」
三井は何も言わない。
「でも、その代わりに……子供は私との間だけにしてほしいって……そんな条件を突きつけた」
それが雪絵の出した最大の譲歩だった。
雄二を愛していた。
だけど雄二には別に、愛する女性がいることも知っていた。
それでも、どうしても雄二と結婚したかった。
だから、彼女の存在には目を瞑る。
その代わり――子供だけは。
家族だけは、自分だけのものにしてほしいと……そう告げた。
了道の前で娘同然として可愛がられてきた自分がそこまですれば、雄二が断れないことを分かっていて、彼を絡め取った。
「雄二さんは、その約束を守ってくれた」
少なくとも、その約束だけは一度たりとも違えなかった。
雄二は愛人との間に子供を作ることはなかった。
「なのに私……」
声が少し震えた。
「百香の名前に、あの人の愛人の名前が入っているって知った時……どうしても許せなかったの」
百香。
雄二が付けてくれた娘の名に、百合香の名から取ったと思しき、〝百〟と〝香〟の二文字が含まれていると知った時、言いようのない怒りがこみ上げた。
「愛人がいることは、最初から知ってたのに。私がそれでもいいって言ったのに。なのに……娘の名前にその人を重ねられていたことだけは……どうしても許せなかった」
三井の手が、ハンドルの上でわずかに動いた。
「それで……離婚を?」
「うん」
雪絵は小さく頷く。
「でもね、百香にはそんなこと言ってないの」
「……」
「了道おじちゃんが言ったの。本当のことを説明しようと思ったら、私と雄二さんがどういう約束で結婚したのかまで話さなくちゃいけなくなるって」
雪絵は唇を噛んだ。
「私たち……相思相愛で結婚したわけじゃなかったから」
少なくとも、雄二にとって、雪絵は恋愛対象ではなかった。
雪絵が望んで、周囲がそれを認めて、雄二が条件を呑んで夫婦になった。
「そんな話を百香にしたら……あの子、自分は愛のない両親の間に生まれたんだって思うかもしれない」
それが怖かった。
自分が望まれて生まれてきた存在ではないのかもしれないと、百香が疑ってしまうことだけは避けたかった。
「だから……全部、雄二さんに押し付けることにしたの。彼が、娘を愛していたことは分かっていたから……絶対呑んでくれるって確信があったの」
三井の眉がわずかに寄る。
「離婚するのは、雄二さんに愛人がいたから。お母さんは被害者で、お父さんが全部悪いって……そういうことにした」
「千崎は……それを?」
「もちろん、受け入れてくれた」
雪絵は苦く笑う。
「〝百香のためなら、それでいい〟って」
雄二らしいと思った。