それぞれの幸せ
「今、俺に話したように、全部話すんです」
「全部……?」
「はい。千崎に愛する女がいることを知っていて結婚したことも。どうしてそれでも結婚したかったのかも。百香ちゃんの名前のことを知って、どうして許せなかったのかも。それから――」

 三井の眼差しが、真っ直ぐ雪絵へ向けられる。

「千崎(ちちおや)一人を悪者にしたことも」
「……」
「何も隠さないで、雪絵さん自身の口から話すんです」

 雪絵は答えられなかった。
 そんなことは考えたこともなかった。

 いつか雄二が話す日が来る。
 その時、百香に責められる。

 ずっと、そう思っていた。

 ただその日が来るのを、怯えながら待つしかないのだと。

「でも……」

 ようやく声が出た。

「それで百香が……私と一緒にいたくないって言ったら?」
「その可能性も、考えておかなきゃいけないと思います」

 三井は否定しなかった。
 大丈夫だとも言わなかった。

「だから、それまでに百香ちゃんが、自分のことを自分で出来るようにしておくんです」
「自分で……?」
「料理でも洗濯でも、金の管理でも。雪絵さんがいなくても生活していけるだけのことを、少しずつ教えておく」

 三井は静かに続ける。

「もちろん、十六の子を放り出せって意味じゃありません。もし百香ちゃんが雪絵さんのそばを離れることを選んだって、親である以上、生活も学業も金銭的に支えてやる必要はあると思います」
「……うん」
「でも、自分で生きていく力があれば、百香ちゃんは選べます」
「選ぶ……」
「雪絵さんを許すのか。許せないのか。それでも一緒に暮らすのか。少し離れたいのか」

 三井はそこで、ほんの少し表情を和らげた。

「それを決めるのは、百香ちゃんですから」

 胸の奥が、ずきりと痛んだ。

 怖い。

 そんな選択肢を娘へ渡すことなんて、考えただけでも怖かった。

 それでも――。

「千崎から真実を聞かされて、初めて雪絵さんに騙されていたと知るよりは」

 三井が静かに言う。

「俺は、雪絵さん自身の口から話した方がいいと思います」
「……三井」
「逃げないで、自分のしたことも全部話して。そのうえで百香ちゃんに決めてもらう」

 三井は少しだけ困ったように笑った。

「……まあ、俺が口を出すことじゃないんですけどね」
「ううん……」

 雪絵は小さく首を横へ振った。
 そして膝の上の木箱へ目を落とす。
 十九個の蜻蛉玉。

「……考えてみる」
「はい」
「怖いけど……ちゃんと考えてみる」

 三井は静かに頷いた。

 それからしばらく、何も言わなかった。

 雪絵もまた、膝の上の木箱を見つめたまま黙り込む。

 怖い。

 百香へすべてを話すことも。
 その結果、娘が自分のもとから離れていくかもしれないことも。
 考えただけで、胸が押し潰されそうになる。

「……雪絵さん」

 長い沈黙ののち、三井が静かに雪絵の名を呼んだ。

「ん?」
「どんな結果になったとしても……」

 一度、言葉を切る。

「俺はずっと、雪絵さんの味方です」

 雪絵は目を瞬いた。
 そして、泣きそうになりながら小さく笑う。

「……ありがとう」

 本当に、この人は何も変わらない。

 雪絵が泣けばそばにいて、困れば手を差し伸べて。
 間違えた時には、何もかも正しいと甘やかすのではなく、一緒にどうすればいいかを考えてくれる。

 そのうえで。

 どんな答えに辿り着いても、一人にはしないと言ってくれる。

「……三井がいてくれて、よかった」

 思わず零れた言葉に、三井がわずかに目を見開く。
 けれど、何も言わずに照れくさそうに笑った。
 その笑顔まで、昔と何ひとつ変わらなかった。
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