それぞれの幸せ
 そもそも名前に反応しているように見える割に、呼んでも来ない。
 抱けば暴れる。
 撫でようものなら逃げる。

 そのくせ、気付けば事務所のどこかにいて、雄相会(ゆうそうかい)の面々をじっと見つめている。

 応接室のソファ。
 書類棚の陰。
 机の上。
 好き勝手に縄張りを広げていた。

 だが、愛想のない性分ゆえか、誰かの膝に乗ることだけはなかった。

 可愛げもなければ器量も良くない。
 それでも皆「ツル」「ツル」と気に掛けていたが、引き取り手はなかなか決まらなかった。
 そうして二週間余りが過ぎた。

 そんなある日の午後。
 構成員たちがたまたま皆出払っていて、事務所内には雄二と猫しかいなかった。

 雄二が机で書類へ目を通していると、足元に何かが当たる感触があった。

 視線を落とすと、ツルが不機嫌そうな顔で雄二の足元にいた。

「お前、いつまでうちに居座るつもりだ」

 百合香が飼っていたしろみたいに、足へ身体を擦り寄せるでもなく、甘えたようにこちらを見上げて鳴くでもなく――。
 ただ当然のような顔で足元へ座り込んでいる。

 雄二は一瞥しただけで、視線を書類へ戻した。

 だが、しばらくするとツルは雄二の膝の上に飛び乗ってきた。

(今まで、誰の膝にも乗らなかったくせに何で俺なんだよ)

 カラスから助けてくれた若い衆にしてやれば、「ツルの恩返しだ!」と喜んだかもしれないのに。

 素知らぬ顔でしたいがままにさせていたら、猫は雄二の太ももの上で落ち着く場所を探すようにくるくると向きを変えてから、寝床を均(なら)すみたいに前足で雄二の足を踏み踏みした。
(爪が伸びてるな)
 子猫が足を動かすたび、時折チクッとした痛みがスラックス越しに皮膚を刺す。

 雄二は少しだけ眉をひそめはしたが、結局ツルを追い払わなかった。
 別にいたからと言って書類を見る邪魔にはならないと思ったからだ。

 いつの間にか雄二の膝の上で眠ってしまった子猫を見下ろして、しろが子猫だったころのことをふと思い出す。

(あいつはもっと可愛げがあったぞ)

 しろもよくこうしていた。

(もっとも、あいつは百合香の膝の方が好きだったが)

 そんなことを思い出しながら、雄二はそのままの状態で、なるべく動かないよう気を付けながら、書類へ視線を落とした。


***


 その日の夜。
 百合香が雄二のスラックスをハンガーに掛けながら、首を傾げた。

「あれ?」
「何だ」
「雄ちゃん、ズボン、毛まみれだけど……」

 言われて百合香が差し出したスラックスを受け取る。黒い生地には、白い毛がいくつも付着していた。

 一応子猫が降りたあと、払ったつもりだったが、取れていなかったらしい。

「事務所の猫だ」
「え? 猫?」

 雄二が粘着クリーナーに手を伸ばしながら何でもないことのように告げた言葉に、百合香が興味を引かれたように身を乗り出す。

「言ってなかったか。今な、事務所で猫を預かってるんだ」
「白い子?」
「ああ」
「可愛い?」
「全然」

 雄二が憮然とした口調でつぶやくと、百合香が一瞬キョトンとした顔をしてから、「そんな即答しなくても」と吹き出した。

「男の子?」
 肩を震わせながら百合香が尋ねる。
 白猫……と聞いて、しろを思い出したのだろう。
「いや」
 雄二は粘着クリーナーを転がしながら答えた。
「残念ながらメスだ」
「残念ながら?」
「しかもしろと違って、かなり器量が悪い」

 百合香が思わず声を立てて笑う。
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