それぞれの幸せ
「そんな言い方ないでしょう」
「本当だ」
「その子に失礼だよ」
「事実だ」

 雄二は真顔だった。
 百合香はますます可笑しくなったらしい。

「会ってもないのに、ちょっと気になってきた」
「やめとけ」
「どうして?」
「目つきは悪いし、愛想もないんだ。期待するとがっかりする」
「ふふっ」

 だが、百合香の顔はどこか楽しそうだった。

「抱けば暴れる。呼んでも来ない」
「うん」
「若いのなんか、どうにか触ろうと試みちゃぁ、そのたびに引っ掻かれて噛まれてる」

 それを聞いた百合香がますます可笑しそうに笑った。

「でも、その子、雄ちゃんには懐いてるんでしょう?」
 雄二の手が止まる。
「何でそうなる」
「だって」
 百合香はスラックスを指差した。
「こんなに毛が付くくらいなんだから」
「勝手に乗ってくるだけだ」
「乗ってくるんだ」
「……」

 しまったと思った時にはもう遅い。
 百合香が楽しそうに目を細めていた。

「誰の膝にも乗らないのに?」
「何で知ってる」
「今の話聞いてたら分かるよ」

 くすくす笑われる。
 雄二は小さく舌打ちした。

「別に懐いてるわけじゃない」
「はいはい」

 全く信じていない返事だった。
 百合香はしばらく笑っていたが、やがてふと表情を和らげる。

「白い子なんだ」
「ああ」
「しろを思い出すね」

 その名が出た途端、二人の間に少しだけ静かな時間が流れた。

 棚の上には小さな骨壺。
 その隣には、今も写真が飾られている。

 ふくふくした、柔らかい面差しをした白猫。

 百合香と雄二の大切な家族。

「しろね……」
 百合香が懐かしそうに微笑む。
「雄ちゃんが来ると嬉しそうだった。すぐに膝の上に乗ろうとして」
「あいつはたまに俺が持ってくる刺身とかをあてにしてただけだ」
「違うよ」

 百合香は即座に否定した。

「ちゃんと雄ちゃんのこと、好きだったもん」

 そう言って骨壺へ目を向ける。

「私ね」
「ん?」
「しろと一緒に雄ちゃんを待つの、好きだった」

 雄二は黙って耳を傾ける。

「なんだか家族みたいで……幸せだったな」

 百合香は少し照れたように笑った。

「あれだけでも十分だったはずなのに」
「……」
「しろとふたりでここで雄ちゃんを待ちながら、もっと欲しいって思っちゃった……」

 胸の奥が僅かに痛む。

 本当なら、もっと早く与えられたはずの幸せだった。
 本当なら、百合香にそんな思いをさせるだけで終わらせてはいけなかった。

「……そうか」

 ようやくそれだけを返す。
 百合香は小さく頷いた。

 それから少し考えるように視線を落とす。

「またいつか」
「ん?」
「猫と暮らせたらいいなって思うことはあるよ」

 雄二は顔を上げた。
 百合香は微笑んでいる。

「しろの代わりじゃなくてね」
「ああ」
「また新しく」

 その言葉が妙に心へ残った。

 百合香は何気なく言っただけなのだろう。

 だが雄二は、その後もしばらくその言葉を忘れられなかった。

 ――また新しく、猫と暮らせたら。

 そんな未来もあるのかもしれないと。


***


『またいつか、猫と暮らせたらいいなって思うことはあるよ』

 昨夜、百合香が口にした言葉が、仕事をしていても妙に頭から離れなかった。

 猫は、今日も相変わらず不愛想な顔のまま、雄二の膝を占拠している。
< 159 / 163 >

この作品をシェア

pagetop