それぞれの幸せ
「……わざわざ言わなきゃただの自殺で処理されるだろうが……あんたらがここへ〝脅しに来た〟って警察へ報告をするのもいいかもしれない。『あすな』の顧問弁護士に話をつけるのだって簡単だ。どうせあいつらも今回の件にゃ、一枚噛んでるんだろ? 俺は銀行員だ。数字と証拠の扱いは、そっちよりずっと慣れてる」
ぎたようです。出直すことにしますよ」と、へらへら笑ってみせる。
だが、その笑顔の端には、確かに何かを隠蔽しようとしている空気が漂っていた。
「ではわたくしらはこれで。――まぁお二人ともお父様を亡くされて大変でしょうけど、お身体にはお気をつけくださいね? わたくしらにとっても《《あなた方のお身体は大事》》ですから。……ああ、もちろんそちらのお嬢さんも」
それでもさすが百戦錬磨の悪といったところか。
坊野は最後にしっかりと脅しの台詞を残すことを忘れない。
それに雄二が反応するより早く、志柿に「行くぞ」と声を掛けて、くるりと踵を返した。
スーツの裾が揺れ、ドアの向こうの夜気に紛れていくと、ややしてエンジン音が高らかに響き、車のライトが遠ざかっていった。
***
玄関の戸を閉めた雄二の手は、無意識に傘の柄を握りしめたままだった。
「母さん、百合香、今すぐ荷物をまとめるんだ」
百合香が息を呑んでこちらを見ようともしない雄二の横顔を見つめる。
「すまないが、俺が迎えに行くまでの間、身を隠して欲しい……」
八重子は淡々と告げられる息子の言葉に何も言い返せず、ただその背中を見つめていた。
(法も、正義も、守っちゃくれなかった。なら――次は、〝筋〟に頼る番だ)
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、家の中はひどく静かだった。
何もかもの気配が、まるで夜に呑まれてしまったみたいだ。
握りしめた傘の先が、床に当たって乾いた音を立てる。
その音が、夜の底に沈む覚悟の合図のように響いた。
***
通夜のあとの夜、雄二は眠れなかった。
薄暗い居間で線香の煙を見つめながら、何度もスマホを手にしては置く。自宅の電話線を抜いたからだろうか。画面の通知欄には、見知らぬ番号の着信履歴が並んでいた。
どこで雄二の携帯番号を知ったんだろうか?
一番最初にかかってきた時、そうと知らず、仕事関連の電話かと出てみたら取り立ての連中だった。番号をブロックしても、次から次へと別の番号で掛かってくる。
静まり返った家の中で、母のすすり泣く声が薄く響くたびに、胸の奥がえぐられた。
なぜか相手は雄二をターゲットと定めたらしいが、このままではいずれ、母親も同様の目に遭うだろう。
百合香も危ない。
ここ数日、連中は職場にも電話を掛けてきている。――「千崎雄二の女だろう?」
職場の番号まで調べ上げている時点で、もう警察の“民事不介入”では間に合わない。
雄二は意を決し、机の引き出しを開けた。
通帳、印鑑、百合香の住所が書かれたメモ。必要最低限のものを封筒に入れ、母の寝室へ向かう。
八重子は布団の中で目を開けていた。眠れぬまま、涙の跡が乾いて頬に残っている。
「母さん、着替えて。今から出るよ」
「え……?」
「この家は危ない。少しの間、外に身を置こう。俺の知り合いに頼んでホテルを取った」
「でも……お父さんを置いて……」
「もう、父さんは行ってしまったんだ」
雄二の声が少し震えた。
「今度は、俺が守る番だ」
そのまま母を車に乗せ、街外れのビジネスホテルへ向かった。
ぎたようです。出直すことにしますよ」と、へらへら笑ってみせる。
だが、その笑顔の端には、確かに何かを隠蔽しようとしている空気が漂っていた。
「ではわたくしらはこれで。――まぁお二人ともお父様を亡くされて大変でしょうけど、お身体にはお気をつけくださいね? わたくしらにとっても《《あなた方のお身体は大事》》ですから。……ああ、もちろんそちらのお嬢さんも」
それでもさすが百戦錬磨の悪といったところか。
坊野は最後にしっかりと脅しの台詞を残すことを忘れない。
それに雄二が反応するより早く、志柿に「行くぞ」と声を掛けて、くるりと踵を返した。
スーツの裾が揺れ、ドアの向こうの夜気に紛れていくと、ややしてエンジン音が高らかに響き、車のライトが遠ざかっていった。
***
玄関の戸を閉めた雄二の手は、無意識に傘の柄を握りしめたままだった。
「母さん、百合香、今すぐ荷物をまとめるんだ」
百合香が息を呑んでこちらを見ようともしない雄二の横顔を見つめる。
「すまないが、俺が迎えに行くまでの間、身を隠して欲しい……」
八重子は淡々と告げられる息子の言葉に何も言い返せず、ただその背中を見つめていた。
(法も、正義も、守っちゃくれなかった。なら――次は、〝筋〟に頼る番だ)
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、家の中はひどく静かだった。
何もかもの気配が、まるで夜に呑まれてしまったみたいだ。
握りしめた傘の先が、床に当たって乾いた音を立てる。
その音が、夜の底に沈む覚悟の合図のように響いた。
***
通夜のあとの夜、雄二は眠れなかった。
薄暗い居間で線香の煙を見つめながら、何度もスマホを手にしては置く。自宅の電話線を抜いたからだろうか。画面の通知欄には、見知らぬ番号の着信履歴が並んでいた。
どこで雄二の携帯番号を知ったんだろうか?
一番最初にかかってきた時、そうと知らず、仕事関連の電話かと出てみたら取り立ての連中だった。番号をブロックしても、次から次へと別の番号で掛かってくる。
静まり返った家の中で、母のすすり泣く声が薄く響くたびに、胸の奥がえぐられた。
なぜか相手は雄二をターゲットと定めたらしいが、このままではいずれ、母親も同様の目に遭うだろう。
百合香も危ない。
ここ数日、連中は職場にも電話を掛けてきている。――「千崎雄二の女だろう?」
職場の番号まで調べ上げている時点で、もう警察の“民事不介入”では間に合わない。
雄二は意を決し、机の引き出しを開けた。
通帳、印鑑、百合香の住所が書かれたメモ。必要最低限のものを封筒に入れ、母の寝室へ向かう。
八重子は布団の中で目を開けていた。眠れぬまま、涙の跡が乾いて頬に残っている。
「母さん、着替えて。今から出るよ」
「え……?」
「この家は危ない。少しの間、外に身を置こう。俺の知り合いに頼んでホテルを取った」
「でも……お父さんを置いて……」
「もう、父さんは行ってしまったんだ」
雄二の声が少し震えた。
「今度は、俺が守る番だ」
そのまま母を車に乗せ、街外れのビジネスホテルへ向かった。