それぞれの幸せ
 ややしてぴたりと閉ざされた襖の前で足を止めた男が、
「お連れしました」
 言って、雄二へ道をあけるみたいに一歩下がると、
「……入れ」
 (ふすま)の向こうで、低い声が響いた。

 その一言に、雄二の背筋は自然と伸びる。
 案内役が襖を開けると、淡い光の射す座敷が現れる。
 正面の座卓に腰を据えていたのは、五十代半ばくらいの男だった。
 髪に少し白が混じり、顎には薄く無精髭が残っている。もしかしたら、彼が朝の支度(したく)を整える前に、自分は訪問してしまったのかも知れない。
 だが幸いにも、男はそんなことを気にも留めていないようだった。きっと、こうした不意の訪問も、この男にとっては日常のうちなのだろう――。
 そう思うと、雄二はほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。

 黒の羽織に濃紺の着流し。姿勢はまっすぐで、静かな眼差しが、品定めするみたいに雄二を射抜いていた。

 雄二は正座をして頭を下げる。
「初めまして。……わたくし、千崎雄二と申します」
「さっき名前は聞いてる。――ま、そう緊張する事は(こたぁ)ねぇだろ。顔を上げてくれや」
 命じるというより、静かな調子だった。
 雄二が顔を上げると、男――葛西(かさい)了道(りょうどう)はわずかに口元を緩めた。
「……やっぱり、幸太郎の息子だな」
 目の奥に、ほんの一瞬だけ懐かしさのような色が宿る。
「親父さんには世話ンなった。良い鉄を扱う腕の立つ職人《《だった》》よ」
「ありがとうございます……」
 雄二は唇を噛み、静かに頭を下げた。了道の口振りからは、彼がすでに幸太郎の死を知っているのだとありありとうかがえた。

「それで――」
 了道が煙草の箱を手に取りながら、雄二を真っ直ぐに見る。
「あんたは確か銀行マンだったよな?」
「はい」
「その堅気(かたぎ)の銀行マンさんが、わざわざ俺なんかのところへ何の用だい?」
 畳の上に落ちたその言葉が、まるで重石(おもし)のように響いた。
 雄二は、深く息を吸い、目を閉じてからゆっくりと開いた。

「……力を、貸していただきたいんです」

 その瞬間、部屋の空気がピンと張り詰めた。
 そばへ控えている黒服の男たちが一瞬だけ視線を交わし、了道の顔を伺う。

 だが、了道はただ、ゆっくりと口角を上げた。
「ほう……〝力〟ねぇ。いいだろう。話を聞こうじゃねぇか、千崎の(せがれ)
 その声にはどこか興味と、獲物を値踏みするような愉悦が混じっていた。

「復讐したい相手がいます」

 その言葉を受けて、了道が新たな煙草を口にくわえ、すぐそばに控えていた男がすかさず火を差し出した。
 煙がゆらりと立ちのぼり、部屋の空気に溶けていく。
 短い沈黙ののち、低く、しかし妙に響く声が落ちた。

「復讐、……ねぇ」
「はい」
「そいつぁーまた穏やかじゃねぇ話だな。――で? 潰したい相手は誰だ。父親に金貸し付けた奴らか? それとも――《《あんたの同業者》》か?」

 了道が紫煙を吐き出しながら告げた言葉に、背後の黒服たちがピクリと動いた。
 まるで全てを見透かしているかのようなセリフに、雄二も黒服ら同様身じろぎする。
(この男、どこまで知っているんだ?)
 雄二はグッと拳を握りしめ、真っすぐに了道を見据えた。
「同業者――ですね。正確には私の上司、あすな銀行の法人営業課長の荻野(おぎの)と、あすなの顧問弁護士です」
 包み隠さず報復したい相手を名指しにすれば、了道の眉がわずかに動く。そうしてすぐにククッと楽しげに笑って、「なるほど、そうきたか」と煙とともに吐き出すのだ。
俺は(おりゃぁ)てっきりネクサスの方の話だと思ってたんだがなぁ。まさか先にテメェんトコの上司の名が出てくるたぁ思わなかった。……なぁ千崎の(せがれ)よ。今回の親父さんの件、《《お前は》》どこまで知ってる? 俺に詳しく説明してみろや」

 雄二は一度小さく息を吐き、グッと奥歯に力を込めた。
(――この口振り。俺が話す前から、何もかも調べがついているんだろうな。けど、それでもなお〝俺の口から言わせよう〟ってわけか)
 そう思いはしたが、同時に眼前の男に試されているとも思った雄二は、〝ならば乗るしかない〟と、言われた通り静かに語り出した。

「……数ヶ月前、あすな(うちの)銀行が系列の大手に出した大型融資で、不自然な数字の整えがありました。起案は私の名前。けど、中身は私が出した稟議書(りんぎしょ)とは明らかに違っていた。誰かが……いや、恐らくは荻野が書き換えたんです。――それを隠すための資金繋ぎとして、荻野は岩倉という経営者に〝個人で回る金〟を手配した。建前こそ岩倉の事業資金、実態は不正の穴埋めです。実際、岩倉へ貸付をしたという記録は、銀行の方へは残っていないはずです」
「根拠は?」
「私はあすなの法人営業課主任です。自分の目を通らないままに上へ上がる貸付金なんてありえない。――岩倉の稟議書なんて、見たこともありません」

 了道の視線が、わずかに細くなる。紫煙が静かにほどけた。

「最初から返せる宛のない融資です。当然すぐに行き詰まって返済が滞った。そんなの最初から分かっていたことです。それで……ここからは私の勝手な推測ですが――荻野は、そんな岩倉に【ネクサスファイナンス】という闇金業者を勧めたんじゃないかと思います。ついでにうちの親父を連帯保証人に仕立て上げたのにもあの男が関与していると《《俺》》は踏んでいます」

 確証はない。
 だが、雄二にはそうとしか思えなかった。

 つい熱が入るあまり、いつの間にか了道の前だということも忘れていた。口から出た〝俺〟の一言にも気付かぬまま、雄二は続ける。
< 20 / 40 >

この作品をシェア

pagetop