それぞれの幸せ
「――今日からお前は〝葛西組(うちの)預かり〟ってことにする。銀行屋なんてとっとと辞めて、うちの(ひさし)の下へ入れ。俺は堅気(かたぎ)の人間を使う趣味はねぇ。自分で動きてぇってんならうちの組に入ることが条件だ」
 了道の言葉に雄二は瞳を見開いた。そう言えばネクサスの半グレにも同じような勧誘を受けたことを思い出す。
「お前の度胸と肝の()わり方な。惚れ惚れするほど極道(こっち)向きだ。うちの組に入るってんなら身内のこととしていくらでも手ぇ貸してやる。まだ頼まれちゃいねぇがネクサスの方にも手ぇ回してお袋さんと……お前の(すけ)を助けてやってもいい」
 どうやら了道は、雄二がネクサスの取り立てから逃がすため、八重子と百合香をホテルに(かくま)っていることも知っているらしい。
 そこも雄二にとってはアキレス腱といえるものだったから……了道が手を貸してくれるというのならばこれほど心強いことはないだろう。餅は餅屋というやつだ。
「悪い条件じゃねぇだろ? なぁ千崎。てめぇは俺の指示で動けるか?」

 雄二は了道の静かな声音を聞きながら、畳の目が不思議とまっすぐに見えた。

 雄二は姿勢を正すと深く頭を下げる。

「……お願いします。命は、預けます」

 了道の口角が、わずかに上がる。

「よし。じゃあ手順を言う。耳かっぽじって聞け」

 指先で二度、座卓を軽く叩く。
 若い衆が無言でメモを取る体勢に入った。

「まずはネクサス。――島の掟だ。俺の縄張りで勝手なことをしたケジメは取らせる。うちの若いのを回す。表の顔じゃねぇ。裏の入口から帳面も人間も押さえてやろうじゃねぇか。お前の母親と彼女(おんな)へは、全てが終わるまで別の場所で警護をつける。こっちの都合で動かすが、構わねぇな?」

「……はい」

「次に荻野(おぎの)。こいつは表から殴る。お前の持ってる〝時系列のズレ〟は使える。――それ持って『あすな』の顧問弁護士を揺さぶる。そいつが原紙と改ざん前のフローを持ってるはずだからな。その上でわざと逃げ道は作ってやるつもりだ。『お前が吐くか、こちらが吐かせるか』だとな。ま、十中八九自分の身可愛さから自分で吐く方を選ぶだろうな。ま、その辺は上手いこと誘導してそいつに自分の手で告発状を書かせてやるよ。宛先は本部コンプラと監査、ついでに金融庁の窓口と地元紙の記者クラブに〝同着〟で飛ばす。匿名の投げ込みも別口で重ねる」

「ですが、それでは顧問弁護士のみお咎めなしってことになりませんか?」

 雄二の言葉に、了道が指を一本立て、静かに続けた。

「顧問弁護士にももちろん悪事のツケは払わせる。キックバックの流れを、うちで拾ってやるよ。まぁ、粗方拾えてるから心配すんな。もちろん葛西(うち)としちゃ、弁護士は見逃してやったって(てい)だからな。直接は名乗らねぇ。匿名のリークで職を断ってやる。――荻野は飛ぶ。弁護士は消える。ネクサスは黙る」

 畳の上で、言葉だけが重く積み上がっていく。
 雄二の胸に、初めて〝現実に動く道筋〟への明かりが灯った。

「……そこまでして頂いて、私が貴方の下で働くというだけで本当にいいのでしょうか? 普通、もっと対価を求められるもんじゃないんですか……?」

 問うと、了道がククッと笑った。

「身内になるんだから当然だっつっても信用しねぇって(つら)だな。まぁとにかくお前は俺のために働け。銀行で鍛えた〝数字〟と〝人を見る目〟。――その鼻を、こっちで使え。まずは内勤(ないきん)でいい。帳場の裏、帳簿の汚れを嗅ぎ分けろ。銀行屋やってたお前にしか気づけねぇ(ほころ)びがあるはずだ」

 視線が、鋭く射す。

「とりあえずは幸太郎の死にケジメつけるぞ。親父さんの死に〝名前〟を付けるのは他人じゃねぇ。お前自身だ。そのためにも覚悟を見せろや、千崎。この件が片付いたら堅気(かたぎ)の奴らとは決別することも覚悟しろ。もし途中で濁すってんなら最初から何もするな。今ここで引き返せ」
 その〝堅気の奴ら〟の中には母・八重子も、恋人の百合香も入っているのだと言外に含まされているのを感じた雄二である。

 雄二は、ほんの一拍だけ目を閉じた。
 父の手。機械油の匂い。百合香の震える腕。母の細い背中。

 ――引き返す場所は、もう残っていない。

「……やらせてください」

 了道は、短く頷いた。
 床の間の掛け軸が朝の光を吸って、墨の線が濃く見えた。

「テメェら、今の話、聞いてたよな? ネクサスの連中は〝うちの島の外〟へ追い出すまで手を緩めるな。顧問弁護士へは〝今夜〟当てに行く。――動け」

「はい」

 黒服が静かに散り、襖が音もなく閉まる。
 座敷には、了道と雄二だけが残った。

「千崎」

 名を呼ばれ、雄二は姿勢を正す。

「筋は通せ。――それだけは外すな。外したら……俺がお前を殺す」

 淡々と告げられた殺気は、不思議と温度がなかった。
 だが、その冷たさが、逆に〝帰る場所〟の輪郭をくっきりさせる。

「……承知しました」

 了道は立ち上がり、羽織の裾を払った。

「まずはお前の母親と女を移す。うちの車を回す。騒がれても面倒だ。お前も付き添え。――それから、お前の持ってる〝ズレの控え〟は全部、うちの帳場で預かる。代わりに〝正面から効く(たま)〟で返してやる」

 静かに黙礼した雄二に了道がニヤリと笑う。

「――いい(つら)してんじゃねぇか、《《元》》銀行屋」

 その笑みは、獲物を仕留める前の獣のそれに似ていた。
 だが、雄二の胸の底で、凍った何かがようやく動き出す音がした。
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