それぞれの幸せ
2.葛西了道『親心』
千崎雄二が葛西組に正式加入した翌週。
葛西了道は、雄二を自宅へ招いた。
建前は挨拶のため。
だが胸の内には、別の狙いがあった。
(……一度、雪絵に会わせてみるか)
了道の右腕だった葛城譲の忘形見である葛城雪絵には、強い伴侶が必要だ。
幼くして両親を亡くし、じっと耐えてきた彼女の柔らかい心を守り、支え、現実と折り合いをつけていける男が。
膂力が幅を利かせるこの裏社会で、頭の良さを武器に出来る人間はある意味貴重だ。
喧嘩なんてものはコツさえ掴めばある程度は何とかなる。
了道を守るために身を挺したといえば聞こえはいいが、母親のいない可愛い娘をたったひとりこの世に遺していくような無鉄砲な父親を持っていたばかりに、雪絵は不幸になった。周りが止めるのも聞かず、堅気の女を嫁に迎えて、結局は守りきれずに死なせてしまうような考えのないところもある父親だった。
だからこそ雪絵の伴侶には、直情的にならず、損得をしっかり見極められ、時と場合によっては感情を殺して合理的な判断が出来る男がいいと思っている。
要するに、雪絵をひとり遺して死ぬような心配をしなくていい男が望ましい。
正直なところ、浮気云々は男の甲斐性だ。雪絵は極道の娘らしく、その辺も心得た女だから、もし二人を目合わせることになったとして……千崎がどうしても百合香を忘れられないと言った時は……まぁ、影の女としてなら認めてやるのも手だろう。
千崎は馬鹿じゃない。何が一番合理的か考えて動けるはずだ。
そういう意味でも、千崎雄二という男なら雪絵の相手に申し分ないと思えた。
(まぁ、そうは言っても全ては雪絵が千崎を気に入りゃーの話だがな)
そこまで考えて、ふと雪絵の付き人三井隆司の顔を思い浮かべた了道は、小さく吐息を落とした。
(あいつもいい男なんだがなぁ……、あいつじゃダメなんだ)
三井の、雪絵への想いは本物だ。
十年近く彼女のそばへ寄り添い、誰よりも雪絵の痛みに敏感な男。
彼の優しさは、そのまま雪絵を守ってきた年月と共に積み重なっている。いつの頃からか、そこへ痛々しいくらいの恋情が生まれてしまっていることを、了道はお見通しだった。
だが、雪絵が三井へ向ける眼差しは違った。
そこには〝恋〟の湿度がない。
深い信頼と温もり、そして三井にしか見せない甘えはあるが、それはどんなに色眼鏡をかけて見ても、家族に向ける家族愛に他ならなかった。
(……三井の気持ちは分かるし、出来りゃぁ掬い上げてやりてぇんだがなぁ。残念なことに雪絵の方が《《そう》》じゃねぇから)
了道は、二人の温度差を痛いほど理解していた。
三井のことも可愛く思っているが、了道には雪絵を譲から託された責任がある。
雪絵の気持ちを、何よりも尊重してやりたい。
だからこそ――雪絵を託すなら〝彼女が好きになれる男〟と決めていた。
千崎と会わせたところで雪絵が興味を示さなければ、そこまでだと思っていた。ただ、引っ込み思案であまり屋敷の外へ出たがらない雪絵に、出会いのきっかけを与えてやりたかっただけ――。
それだけのことだったのだ。
***
そんなわけで、千崎雄二が挨拶に訪れたその日、了道はわざと雪絵を広間へ呼んでおいた。
本来ならば座敷で家人に案内されてくるのを待てばいいところを、わざわざ了道自ら玄関先まで雄二を出迎え、彼を伴って現れたのには理由がある。まあ端的に言えば純粋に千崎を見た瞬間、雪絵がどんな反応をするのかが見たかっただけ。
自分のすぐそば。スッと背筋をまっすぐ伸ばして入ってきた千崎の姿を見た瞬間、雪絵が小さく息を呑んだのが分かった。
「千崎雄二と申します。――今日からお世話になります」
そうして自分が一緒に入ることで、必然的に雄二は座敷にいる《《雪絵に》》挨拶せざるを得なくなる。
それを狙ってもいた。
いつも熱のない視線で静かに周りを見ている雪絵の瞳が、千崎を見てわずかに揺れた。
常ならば、こんなにまじまじと人の動向を見る女ではない。
その雪絵が、無意識なのかも知れないが、千崎から視線を逸らせずにいる。
(これは……悪くねぇ反応だな)
それを見た了道は、心の中で一人ほくそ笑んだ。
残念ながら娘の琴音の乱入で、雪絵の視線は千崎から外れてしまったが、〝新入りの顔合わせ〟だと言っておきながら、《《意図的に》》琴音を外していた違和感に、賢い雪絵ならば気が付くだろう。
(雪絵、どんな形でもいい。目の前の男のことをちぃーと考えてみろや)
雪絵に抱き付く娘と、そんな琴音を制しきれずにオロオロする琴音の世話役の相良京介の様子を眺めながら、了道はちらりと雪絵のそばへ待機している三井に視線をやる。
三井はうつむいていて表情こそ見えないが、雪絵のことには敏感な男だ。
きっと、了道以上に彼女が束の間見せた変化に気付いているだろう。
葛西了道は、雄二を自宅へ招いた。
建前は挨拶のため。
だが胸の内には、別の狙いがあった。
(……一度、雪絵に会わせてみるか)
了道の右腕だった葛城譲の忘形見である葛城雪絵には、強い伴侶が必要だ。
幼くして両親を亡くし、じっと耐えてきた彼女の柔らかい心を守り、支え、現実と折り合いをつけていける男が。
膂力が幅を利かせるこの裏社会で、頭の良さを武器に出来る人間はある意味貴重だ。
喧嘩なんてものはコツさえ掴めばある程度は何とかなる。
了道を守るために身を挺したといえば聞こえはいいが、母親のいない可愛い娘をたったひとりこの世に遺していくような無鉄砲な父親を持っていたばかりに、雪絵は不幸になった。周りが止めるのも聞かず、堅気の女を嫁に迎えて、結局は守りきれずに死なせてしまうような考えのないところもある父親だった。
だからこそ雪絵の伴侶には、直情的にならず、損得をしっかり見極められ、時と場合によっては感情を殺して合理的な判断が出来る男がいいと思っている。
要するに、雪絵をひとり遺して死ぬような心配をしなくていい男が望ましい。
正直なところ、浮気云々は男の甲斐性だ。雪絵は極道の娘らしく、その辺も心得た女だから、もし二人を目合わせることになったとして……千崎がどうしても百合香を忘れられないと言った時は……まぁ、影の女としてなら認めてやるのも手だろう。
千崎は馬鹿じゃない。何が一番合理的か考えて動けるはずだ。
そういう意味でも、千崎雄二という男なら雪絵の相手に申し分ないと思えた。
(まぁ、そうは言っても全ては雪絵が千崎を気に入りゃーの話だがな)
そこまで考えて、ふと雪絵の付き人三井隆司の顔を思い浮かべた了道は、小さく吐息を落とした。
(あいつもいい男なんだがなぁ……、あいつじゃダメなんだ)
三井の、雪絵への想いは本物だ。
十年近く彼女のそばへ寄り添い、誰よりも雪絵の痛みに敏感な男。
彼の優しさは、そのまま雪絵を守ってきた年月と共に積み重なっている。いつの頃からか、そこへ痛々しいくらいの恋情が生まれてしまっていることを、了道はお見通しだった。
だが、雪絵が三井へ向ける眼差しは違った。
そこには〝恋〟の湿度がない。
深い信頼と温もり、そして三井にしか見せない甘えはあるが、それはどんなに色眼鏡をかけて見ても、家族に向ける家族愛に他ならなかった。
(……三井の気持ちは分かるし、出来りゃぁ掬い上げてやりてぇんだがなぁ。残念なことに雪絵の方が《《そう》》じゃねぇから)
了道は、二人の温度差を痛いほど理解していた。
三井のことも可愛く思っているが、了道には雪絵を譲から託された責任がある。
雪絵の気持ちを、何よりも尊重してやりたい。
だからこそ――雪絵を託すなら〝彼女が好きになれる男〟と決めていた。
千崎と会わせたところで雪絵が興味を示さなければ、そこまでだと思っていた。ただ、引っ込み思案であまり屋敷の外へ出たがらない雪絵に、出会いのきっかけを与えてやりたかっただけ――。
それだけのことだったのだ。
***
そんなわけで、千崎雄二が挨拶に訪れたその日、了道はわざと雪絵を広間へ呼んでおいた。
本来ならば座敷で家人に案内されてくるのを待てばいいところを、わざわざ了道自ら玄関先まで雄二を出迎え、彼を伴って現れたのには理由がある。まあ端的に言えば純粋に千崎を見た瞬間、雪絵がどんな反応をするのかが見たかっただけ。
自分のすぐそば。スッと背筋をまっすぐ伸ばして入ってきた千崎の姿を見た瞬間、雪絵が小さく息を呑んだのが分かった。
「千崎雄二と申します。――今日からお世話になります」
そうして自分が一緒に入ることで、必然的に雄二は座敷にいる《《雪絵に》》挨拶せざるを得なくなる。
それを狙ってもいた。
いつも熱のない視線で静かに周りを見ている雪絵の瞳が、千崎を見てわずかに揺れた。
常ならば、こんなにまじまじと人の動向を見る女ではない。
その雪絵が、無意識なのかも知れないが、千崎から視線を逸らせずにいる。
(これは……悪くねぇ反応だな)
それを見た了道は、心の中で一人ほくそ笑んだ。
残念ながら娘の琴音の乱入で、雪絵の視線は千崎から外れてしまったが、〝新入りの顔合わせ〟だと言っておきながら、《《意図的に》》琴音を外していた違和感に、賢い雪絵ならば気が付くだろう。
(雪絵、どんな形でもいい。目の前の男のことをちぃーと考えてみろや)
雪絵に抱き付く娘と、そんな琴音を制しきれずにオロオロする琴音の世話役の相良京介の様子を眺めながら、了道はちらりと雪絵のそばへ待機している三井に視線をやる。
三井はうつむいていて表情こそ見えないが、雪絵のことには敏感な男だ。
きっと、了道以上に彼女が束の間見せた変化に気付いているだろう。