それぞれの幸せ
千崎が帰ったあと、了道は三井隆司を応接室へ呼んだ。昼間に千崎を通した広間とは違い、小ぢんまりとした密室だ。
防音もしっかりしていて、密談するときにはこちらを使う。
千崎は琴音にねだられて結構遅くまでカードゲームなんぞに付き合っていたが、雪絵はついにその場へ姿を見せなかった。琴音が「お姉ちゃんも!」と誘ったのに、だ――。
自分もその場にいてことの成り行きを知っている了道は、目の前の男――三井も遊びには加わらなかったのを記憶している。十中八九、その間、三井は雪絵のそばを離れなかったはずだ。
「三井。今日の雪絵……お前はどう見た?」
ふぅーっと紫煙を吐き出しながら問えば、三井の表情が揺れる。
懸命に動揺を悟られないよう隠そうとしているようだが、抑えきれないざわつきがわずかに滲んでいた。
「……雪絵さんは……千崎雄二のことを、気にしていたように……見えました」
自分の感情を度外視した、実直で正直な答えだった。
(三井……お前は、俺に嘘をつけねぇ男だもんな)
その誠実さが、逆に胸へ刺さる。
ならば了道も、三井の気持ちを慮ってオブラートに包んだ物言いをするのはフェアじゃないだろう。そう判断した了道は、灰皿に灰を落としながら小さく吐息を落とした。
「お前も、そう思ったか。――俺もだ」
三井の拳が、身体の横で静かに握られたのが分かる。
悔しさ。
痛み。
そして――諦めきれない雪絵への恋情。
だが三井はそれを一言も口にしない。
雪絵を困らせることは、何ひとつしない男だからだ。
(……三井の雪絵への〝想い〟は健在だ。だが、雪絵の千崎への恋心はちぃーとばかり〝芽生え〟かけてる)
了道は、紫煙越し、いつもと変わらず見えるよう懸命に取り繕われた三井の顔を見ながら思った。
***
三井と話した翌朝、了道は雪絵を座敷へ呼んだ。
叱責でも、命令でもない。
ただ、父親のような声音だった。
「雪絵。昨日来た新入り……どう思った?」
「……千崎さん、ですか? えっと……その……」
うまく言葉にできず、雪絵は視線を落とした。
胸の奥で、昨日感じた〝何か〟が、一晩経ってもまだ形を持てず揺れている。
了道はその様子にうっすら笑みを浮かべる。
「何か思うところがあったんだろ? ――ま、今すぐ答えを出せとは言わねぇよ。ただ、お前ももう二十歳だ。そろそろ外の世界に触れて……自分の人生を考える時期だと思ってな」
「わ、私の……人生……?」
「あぁ。俺としちゃぁずっとここへ居てもらっても構わねぇんだがな、それじゃ出会いも、縁も、新しいのはなかなか舞い込んじゃこねぇ。むしろそう言うモンは家の外へ出た方が転がってるもんだ」
「新しい出会いと……ご縁……」
「ああ、昨日のは外からうちん中へ入ってきた新しい風だが、そういう変化も悪くねぇだろ?」
「新しい、風……」
「ああ、千崎みてぇな男、屋敷ん中へ籠ってたんじゃ、なかなか出会えねぇ。そうは思わねぇか?」
〝千崎みたいな〟と昨日の美丈夫を名指しにされて、雪絵の心はソワソワとざわめいた。眼鏡越しにじっと見詰められた凛とした視線と、低く、柔らかなバリトンボイス。それが胸の奥にずっと残っている。それを思い出すと、落ち着かないのに何故か何となくほわりと温かさも感じる気がして――。
それが恋心の芽生えだなんて、まだ気付けていない雪絵だったけれど、感じたことのない感覚だというのは分かった。
「仕事見つけて……ちぃーとこの屋敷を出てみねぇか?」
「え、でも……私……」
何も資格がないと言おうとしたら、
「お前がその気なら、俺がいくらでも口きいてやる」
了道がふっと柔らかな笑みで雪絵を見つめた。
「家も俺が手配してやる。家賃なんかは心配しなくていい」
そこまで言われて、雪絵は瞳を見開いて首を振った。
「そんなのダメです、了道おじちゃん。それじゃ、おじちゃんに負担がかかり過ぎてしまいます」
「そう思うか?」
「……はい」
眉根を寄せる雪絵に、了道はニヤリと笑う。
「じゃあ、代わりに三井を俺に返しちゃもらえねぇか?」
「えっ?」
「雪絵がここへきて約十年。あいつはずっとおまえの専属だっただろ? それを葛西組へ返してくれ。あいつの働きは家賃以上になる」
そんなことを言われるだなんて思ってもみなかった。
雪絵は、この家を出されても……何故か三井だけはずっと一緒だと思っていたのだ。
「三井を……」
「ああ、そうだ」
ギュッと唇を噛む雪絵を見て、了道が尋ねる。
「――あいつと離れるのは……辛ぇか?」
辛くないと言ったら嘘になる。下手をすれば両親より長い間そばにいて自分を支えてくれた男だ。
「なあ雪絵よ。そろそろあいつを《《解放してやって》》くれ」
だけどそう言われててはもう何も言えないではないか。
雪絵は了道をじっと見つめるとギュッと両手を握りしめてうなずいた。
「分かりました……。三井を……おじちゃんにお返しします……」
防音もしっかりしていて、密談するときにはこちらを使う。
千崎は琴音にねだられて結構遅くまでカードゲームなんぞに付き合っていたが、雪絵はついにその場へ姿を見せなかった。琴音が「お姉ちゃんも!」と誘ったのに、だ――。
自分もその場にいてことの成り行きを知っている了道は、目の前の男――三井も遊びには加わらなかったのを記憶している。十中八九、その間、三井は雪絵のそばを離れなかったはずだ。
「三井。今日の雪絵……お前はどう見た?」
ふぅーっと紫煙を吐き出しながら問えば、三井の表情が揺れる。
懸命に動揺を悟られないよう隠そうとしているようだが、抑えきれないざわつきがわずかに滲んでいた。
「……雪絵さんは……千崎雄二のことを、気にしていたように……見えました」
自分の感情を度外視した、実直で正直な答えだった。
(三井……お前は、俺に嘘をつけねぇ男だもんな)
その誠実さが、逆に胸へ刺さる。
ならば了道も、三井の気持ちを慮ってオブラートに包んだ物言いをするのはフェアじゃないだろう。そう判断した了道は、灰皿に灰を落としながら小さく吐息を落とした。
「お前も、そう思ったか。――俺もだ」
三井の拳が、身体の横で静かに握られたのが分かる。
悔しさ。
痛み。
そして――諦めきれない雪絵への恋情。
だが三井はそれを一言も口にしない。
雪絵を困らせることは、何ひとつしない男だからだ。
(……三井の雪絵への〝想い〟は健在だ。だが、雪絵の千崎への恋心はちぃーとばかり〝芽生え〟かけてる)
了道は、紫煙越し、いつもと変わらず見えるよう懸命に取り繕われた三井の顔を見ながら思った。
***
三井と話した翌朝、了道は雪絵を座敷へ呼んだ。
叱責でも、命令でもない。
ただ、父親のような声音だった。
「雪絵。昨日来た新入り……どう思った?」
「……千崎さん、ですか? えっと……その……」
うまく言葉にできず、雪絵は視線を落とした。
胸の奥で、昨日感じた〝何か〟が、一晩経ってもまだ形を持てず揺れている。
了道はその様子にうっすら笑みを浮かべる。
「何か思うところがあったんだろ? ――ま、今すぐ答えを出せとは言わねぇよ。ただ、お前ももう二十歳だ。そろそろ外の世界に触れて……自分の人生を考える時期だと思ってな」
「わ、私の……人生……?」
「あぁ。俺としちゃぁずっとここへ居てもらっても構わねぇんだがな、それじゃ出会いも、縁も、新しいのはなかなか舞い込んじゃこねぇ。むしろそう言うモンは家の外へ出た方が転がってるもんだ」
「新しい出会いと……ご縁……」
「ああ、昨日のは外からうちん中へ入ってきた新しい風だが、そういう変化も悪くねぇだろ?」
「新しい、風……」
「ああ、千崎みてぇな男、屋敷ん中へ籠ってたんじゃ、なかなか出会えねぇ。そうは思わねぇか?」
〝千崎みたいな〟と昨日の美丈夫を名指しにされて、雪絵の心はソワソワとざわめいた。眼鏡越しにじっと見詰められた凛とした視線と、低く、柔らかなバリトンボイス。それが胸の奥にずっと残っている。それを思い出すと、落ち着かないのに何故か何となくほわりと温かさも感じる気がして――。
それが恋心の芽生えだなんて、まだ気付けていない雪絵だったけれど、感じたことのない感覚だというのは分かった。
「仕事見つけて……ちぃーとこの屋敷を出てみねぇか?」
「え、でも……私……」
何も資格がないと言おうとしたら、
「お前がその気なら、俺がいくらでも口きいてやる」
了道がふっと柔らかな笑みで雪絵を見つめた。
「家も俺が手配してやる。家賃なんかは心配しなくていい」
そこまで言われて、雪絵は瞳を見開いて首を振った。
「そんなのダメです、了道おじちゃん。それじゃ、おじちゃんに負担がかかり過ぎてしまいます」
「そう思うか?」
「……はい」
眉根を寄せる雪絵に、了道はニヤリと笑う。
「じゃあ、代わりに三井を俺に返しちゃもらえねぇか?」
「えっ?」
「雪絵がここへきて約十年。あいつはずっとおまえの専属だっただろ? それを葛西組へ返してくれ。あいつの働きは家賃以上になる」
そんなことを言われるだなんて思ってもみなかった。
雪絵は、この家を出されても……何故か三井だけはずっと一緒だと思っていたのだ。
「三井を……」
「ああ、そうだ」
ギュッと唇を噛む雪絵を見て、了道が尋ねる。
「――あいつと離れるのは……辛ぇか?」
辛くないと言ったら嘘になる。下手をすれば両親より長い間そばにいて自分を支えてくれた男だ。
「なあ雪絵よ。そろそろあいつを《《解放してやって》》くれ」
だけどそう言われててはもう何も言えないではないか。
雪絵は了道をじっと見つめるとギュッと両手を握りしめてうなずいた。
「分かりました……。三井を……おじちゃんにお返しします……」