それぞれの幸せ

3.葛城雪絵・三井隆司『決別』

 雪絵が部屋を出ると、三井が廊下へ控えていた。いつも通りの光景だ。
 だけど……。
「三井……」
 了道との会話を聞かれていたのではないかとソワソワしてしまった雪絵である。

(さっき、了道おじちゃんに三井を返すと約束したばかりだけど……この屋敷を出るまでは今まで通りでも構わないの……?)

 当然のように雪絵のすぐそばへ寄り添うと、手にしていた上着を肩へ掛けてくれる三井に、なんだか落ち着かない気持ちになる。

「今日は冷えます。雪絵さんはすぐ体調を崩すんですから、温かくなさってください」
(三井、おじちゃんとの会話、聞こえてなかったの?)
 密談に使われている応接間ならともかく、いま雪絵が出てきた和室は、三井がいた廊下と襖一枚隔てただけの空間だ。
 相当声を(ひそ)めて離さない限り、声は筒抜けな気がした。か細い雪絵の声はともかくとして、了道の声はよく通るから尚更――。
 三井にかけられたカーディガンを、肩から落ちないようギュッと握りながらソワソワと三井を見上げたら「どうかしましたか?」と優しく微笑まれた。
 不自然なくらいいつも通りの三井の様子に、雪絵は却って違和感を覚える。
「……あのね、三井、いま、私が了道おじちゃんと話してた内容……」
 ――聞こえてた?
 そう問おうとしたけれど、うまく言葉に出来なくて、情けないことに三井が答えるより先、「なんでもない……」と濁してから、自分の不甲斐なさにギュッと手指に力がこもる。
 そこを明確にしてしまったら、今すぐにでも三井を了道に返さなければいけなくなる気がして、どうしても言えなかった。

 何も言えないまま、三井に付き添われて部屋へ戻った雪絵は、普段通り彼が淹れてくれた緑茶を飲みながら、ぼんやりと庭を眺める。

「雪絵さん、俺、ちょっとそばを離れますが、すぐ戻って来ますんで。……何かあったら携帯を鳴らしてもらえますか?」
 胸ポケットから携帯電話を取り出してひらひらと振って見せると、雪絵を気遣いながらも三井が部屋を辞した。
 基本的にこんな感じ。
 三井は雪絵のそばを離れる時――それが例えごくごく短い時間であろうとも、今みたいに連絡が取れる術を残してくれる。
 今までは何とも思わなかった三井の配慮が、彼と離れなければいけないと意識した途端、こんなにも重く伸し掛かってくる。
 お茶を淹れることですら、自分は三井に頼ってしまっている。ちょっと困ったことがあったら、すぐに三井に相談してしまう。三度のご飯の準備から、服選びに至るまで、三井に甲斐甲斐しく世話を焼かれて暮らしてきた。
 今着ている淡いモーブピンクのロングワンピースだって、三井が「今日はこれになさったらいかがですか? 天気もいいですし、秋の日差しにとてもよく映えるお色で、色白の雪絵さんに似合うと思います」と出してくれたものへ、何の迷いもなく袖を通してしまった。動くたびにひらひらと揺れるフレアスカートは、日差しに当たると少し紫がかって見えて、すごく綺麗だ。
(……私、三井がいないで、生活していけるのかな)
 服選びひとつにも、苦労しそうな気がする。
 そんな風に思ったけれど、了道に約束した以上、そうなる未来を覚悟するしかない。

 そっと湯呑みの中、水面(みなも)に映る自分の顔を見つめて、雪絵はひそやかな溜め息を落とした。


***


 廊下に出た三井は、扉を閉じるなり拳を握りしめた。

 胸の奥がざわつき、落ち着かない。
 雪絵のあの〝怯えにも似た甘え〟に触れれば触れるほど――、彼女をひとりぼっちで外の世界へ出すという話に、耐えがたい危機感を覚えた。

(あんな弱い女性(ひと)を一人で外へ放り出すなんて無茶だろ)

 気付けばもう、足は勝手に動いていた。

 普段なら、了道(オヤジ)の元へ向かう時、直前で一度は呼吸を整える。
 だが今日は違った。
 迷いもためらいもなく、閉ざされた(ふすま)へ向かって声を掛ける。

「オヤジ……! 三井です。お話があります」

 襖の向こうでわずかに気配が動く。

「……やっぱり来たか。入れ」

 三井は、常ならば深く頭を下げてから顔を上げるのだが、今回ばかりは軽く頭を下げるなりいつもより荒い息のまま座敷内へ足を踏み入れた。

 座卓の前にドカッと腰を下ろしたまま。――大股で近付いてきた三井を見上げて、了道が眉尻を上げる。

「俺に物申したいことが堪りまくってるって顔だなぁ、三井よ」

 鋭い視線を向けられた三井は、一瞬怯みそうになって言葉を飲み込み掛けた――。

 だがすぐさま先ほどの雪絵の不安げな瞳が脳裏をよぎり、感情が溢れ出す。
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