それぞれの幸せ
5.千崎雄二『断てない想い』
葛城雪絵が葛西組・組長、葛西了道から〝ひとり立ち〟という名目で与えられた屋敷には、母屋と少し距離を置いた場所にプレハブの離れがあった。
了道から説明を受けた話では、その離れには常に誰かが常駐していて、敷地内のそこかしこに仕掛けられた防犯カメラを監視しているらしい。
「雪絵は離れのことは気にしなくていいからな。中にいる奴らにもよく言って聞かせておくが、あいつらは雪絵に危険がねぇ限り、母屋の方へは踏み込んで来ねえから」
そう言われても最初のうちは気になって仕方がなかった雪絵である。
でも、それよりも側仕えのように自分の世話をしてくれる男が、慣れ親しんだ三井隆司から千崎雄二に変わったことの方が大問題で、離れのことなんて気にしているゆとりは、すぐになくなった。
(了道おじちゃんのバカ。私、千崎さんとは会いたくないって思ってたの、知ってたくせに……)
顔合わせの日、了道に半ば強引に引き合わされた千崎雄二という美丈夫のことが、雪絵はなんとなく苦手だった。眼鏡越しに見詰められるだけで、ソワソワと落ち着かないのだ。
緊張でガチガチになってしまった雪絵は、そのせいで熱を出してしまった。三井に、雪絵さんはすぐ体調を崩すんですから……と眉根を寄せられていたのを思い出して吐息がこぼれた。
こんな風に寝込んでも、三井はもうそばにいない。自分でなんとかしないと……と思っていた雪絵だったのだが……。
千崎雄二は、冷たそうな見た目とは裏腹、床に臥せった雪絵のことを、程よい距離感で優しく看病してくれた。
それが何だかとても意外だったと言ったら、彼は怒るだろうか?
(怖い人じゃ……ないかもしれない)
千崎雄二は、三井のように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれることはない。
付かず離れずの距離を保ったまま、雪絵が本当に困った時だけ、静かに手を貸してくれる。
それなのに――。
「お嬢さん」
そう呼ばれる度、胸の奥が小さく跳ねた。
理由は分からない。ただ、名前を呼ばれないことにホッとする気持ちと、少しだけ寂しい気持ちが同時に湧く。
顔を上げると、千崎雄二はいつもと変わらない表情で、こちらへ視線だけを向けている。
近づきすぎない。けれど、離れ過ぎてもいない。
その距離感が、どうにも落ち着かなくて――それでいて、不思議と嫌ではないのは何故だろう?
千崎雄二と一緒にいると、日々心がジェットコースターみたいに乱高下して、雪絵は離れのことを気にしているゆとりなんて持てなかった。
「千崎さん、お茶、飲まれますか?」
「お嬢さんが淹れるついででしたら……頂きたいです」
「分かりました」
以前ならお茶もただひたすらに三井から淹れてもらうだけの立場だった雪絵としては、誰かに自分が淹れたお茶を飲んでもらえるというだけで何だか嬉しかった。
***
雪絵が母屋でヤカンを火に掛けている頃――外光を落とした静かな離れの中では、複数のモニターが淡く光っていた。
基本的にそんなに変化なんてないのが常だ。
だが、家の周りに動くものを感知した時だけ、アラートが鳴るように設定してある機器類が、微かな音を響かせて……
「……ん?」
監視係の男は玄関前を映したモニター画面を見詰めて低く呟いた。
外周カメラの一画。
門前に立つ女の姿が、はっきりと映っていた。
(誰だ?)
営業やポスティングの人間にしては不自然なその人影に、眉根を寄せながらカメラを操作して角度を切り替え、顔の辺りへズームする。
監視カメラなので色味こそないが、街灯に照らされた横顔が、はっきりと識別出来た。
「……桐生百合香?」
名前が、自然に口をついた。
ネクサスファイナンスの件で一時保護されていた女の一人だ。
顔も、声も、人物データも――すべて頭に入っている。
了道から説明を受けた話では、その離れには常に誰かが常駐していて、敷地内のそこかしこに仕掛けられた防犯カメラを監視しているらしい。
「雪絵は離れのことは気にしなくていいからな。中にいる奴らにもよく言って聞かせておくが、あいつらは雪絵に危険がねぇ限り、母屋の方へは踏み込んで来ねえから」
そう言われても最初のうちは気になって仕方がなかった雪絵である。
でも、それよりも側仕えのように自分の世話をしてくれる男が、慣れ親しんだ三井隆司から千崎雄二に変わったことの方が大問題で、離れのことなんて気にしているゆとりは、すぐになくなった。
(了道おじちゃんのバカ。私、千崎さんとは会いたくないって思ってたの、知ってたくせに……)
顔合わせの日、了道に半ば強引に引き合わされた千崎雄二という美丈夫のことが、雪絵はなんとなく苦手だった。眼鏡越しに見詰められるだけで、ソワソワと落ち着かないのだ。
緊張でガチガチになってしまった雪絵は、そのせいで熱を出してしまった。三井に、雪絵さんはすぐ体調を崩すんですから……と眉根を寄せられていたのを思い出して吐息がこぼれた。
こんな風に寝込んでも、三井はもうそばにいない。自分でなんとかしないと……と思っていた雪絵だったのだが……。
千崎雄二は、冷たそうな見た目とは裏腹、床に臥せった雪絵のことを、程よい距離感で優しく看病してくれた。
それが何だかとても意外だったと言ったら、彼は怒るだろうか?
(怖い人じゃ……ないかもしれない)
千崎雄二は、三井のように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれることはない。
付かず離れずの距離を保ったまま、雪絵が本当に困った時だけ、静かに手を貸してくれる。
それなのに――。
「お嬢さん」
そう呼ばれる度、胸の奥が小さく跳ねた。
理由は分からない。ただ、名前を呼ばれないことにホッとする気持ちと、少しだけ寂しい気持ちが同時に湧く。
顔を上げると、千崎雄二はいつもと変わらない表情で、こちらへ視線だけを向けている。
近づきすぎない。けれど、離れ過ぎてもいない。
その距離感が、どうにも落ち着かなくて――それでいて、不思議と嫌ではないのは何故だろう?
千崎雄二と一緒にいると、日々心がジェットコースターみたいに乱高下して、雪絵は離れのことを気にしているゆとりなんて持てなかった。
「千崎さん、お茶、飲まれますか?」
「お嬢さんが淹れるついででしたら……頂きたいです」
「分かりました」
以前ならお茶もただひたすらに三井から淹れてもらうだけの立場だった雪絵としては、誰かに自分が淹れたお茶を飲んでもらえるというだけで何だか嬉しかった。
***
雪絵が母屋でヤカンを火に掛けている頃――外光を落とした静かな離れの中では、複数のモニターが淡く光っていた。
基本的にそんなに変化なんてないのが常だ。
だが、家の周りに動くものを感知した時だけ、アラートが鳴るように設定してある機器類が、微かな音を響かせて……
「……ん?」
監視係の男は玄関前を映したモニター画面を見詰めて低く呟いた。
外周カメラの一画。
門前に立つ女の姿が、はっきりと映っていた。
(誰だ?)
営業やポスティングの人間にしては不自然なその人影に、眉根を寄せながらカメラを操作して角度を切り替え、顔の辺りへズームする。
監視カメラなので色味こそないが、街灯に照らされた横顔が、はっきりと識別出来た。
「……桐生百合香?」
名前が、自然に口をついた。
ネクサスファイナンスの件で一時保護されていた女の一人だ。
顔も、声も、人物データも――すべて頭に入っている。