それぞれの幸せ
(あれは……千崎が縁を切った女だ)
葛西のオヤジからは別れたと聞かされている。
(女の方はまだ未練タラタラとか?)
だとしたら、千崎と一緒にいる雪絵に危害が及ぶかもしれない。
監視係は一瞬だけ迷い、それから端末を操作した。
呼び出した相手は、母屋で雪絵と一緒にいるはずの千崎雄二だ。
離れにいる人間が、母屋へ直接出向くことは――相当の緊急事態ででもない限り――ない。
雪絵には、あくまでもこちらのことは気にせず、〝静かに暮らして〟もらいたい。
それが組長の意向でもあるから、そこは守らねばならないラインだ。
だからこそ――。
連絡は、携帯のみ。
それも、極力は音声通話は使わず、メッセージでのやり取りで済ませることにしていた。
***
雄二は雪絵の前に姿勢を正して正座をすると、彼女が淹れてくれたお茶を静かに飲んでいた。
(百合香なら……もう少し濃い目に淹れてくれるな)
雄二の好みが渋めのお茶だからだ。
無意識にそんなことを思って、小さく吐息を落とした雄二は、その思いごと洗い流したいみたいに茶を口に含んだ。
雪絵は何も言わずにそんな自分をチラチラと盗み見ては、ちびちびと湯呑みを傾ける。
最初のうちこそ怯えた小動物のように身を縮こまらせていた雪絵だったけれど、最近は少しだけ気を許してくれるようになった。
今までは近づいても来なかった野良猫が、差し伸べた手を恐る恐るにおってくれるようになった……。その程度の微々たる変化だが、まあこの生活を始めて一週間ちょっとしか経っていない。おいおい慣れてくれれば御の字だ。
夕暮れ前の、静かな時間。
その静寂を破るみたいに、雄二が胸ポケットへ忍ばせた携帯が、短く震える。
――業務用の着信だ。
雄二は一瞬だけ指を止め、雪絵には見えない角度で画面を確認した。
『外周モニター確認
門前滞在者:桐生百合香(識別済)
すぐに離れへ来い』
今までだって、異常があれば離れに呼び出されることはあった。だが、百合香の名を見た瞬間、雄二の思考は秒で凍りついた。
胸の奥に、鈍い衝撃。
だが、雪絵が小首を傾げてこちらを見ている。表情を崩すわけにはいかない。
「……すみません、お嬢さん。少し、席を外します」
雪絵は顔を上げ、雄二を見る。
「すぐ、戻られますか?」
その問いに含まれた遠慮と戸惑いが、雄二の胸を締め付ける。
(この女は、オヤジから俺のこと、なんて言われてるんだ?)
自分と同じように〝伴侶となる相手として意識しろ〟などと吹き込まれているんだとしたら、なんとも申し訳ない気持ちになる。
いくら上から強要されようとも、今みたいに百合香の名を見ただけで、自分の心はこんなにも掻き乱されてしまうのだ。
(百合香……)
なんと言われようと、心の底から愛しいと思える女は百合香以外にいないと、雄二は痛感させられていた。
「……なるべく早めに戻れるよう善処します」
言いながら、「ですが――」と付け加えずにはいられない。
「……?」
「三〇分経っても私が戻らないようでしたら、先にお一人で夕飯を召し上がられてください」
「千崎さんは?」
「あとでいただきます」
結婚をしているわけでも婚約をしているわけでもない若い娘の家に、自分のような男が一緒に住み、――寝室は別々とはいえ寝食をともにさせられている。
なんとも背徳的な状態だ。
百合香とですら、同棲なんてしたことがなかったのに……とまた百合香のことを思ってしまって、雄二はグシャリと髪を掻き上げると、小さく吐息を落とした。
廊下を進む足取りは……おそらく乱れたりはしていないはずだ。
けれど心臓の音だけが、やけに大きく響いて……それが雪絵に聞かれていなかったかどうかだけが妙に気になった。
葛西のオヤジからは別れたと聞かされている。
(女の方はまだ未練タラタラとか?)
だとしたら、千崎と一緒にいる雪絵に危害が及ぶかもしれない。
監視係は一瞬だけ迷い、それから端末を操作した。
呼び出した相手は、母屋で雪絵と一緒にいるはずの千崎雄二だ。
離れにいる人間が、母屋へ直接出向くことは――相当の緊急事態ででもない限り――ない。
雪絵には、あくまでもこちらのことは気にせず、〝静かに暮らして〟もらいたい。
それが組長の意向でもあるから、そこは守らねばならないラインだ。
だからこそ――。
連絡は、携帯のみ。
それも、極力は音声通話は使わず、メッセージでのやり取りで済ませることにしていた。
***
雄二は雪絵の前に姿勢を正して正座をすると、彼女が淹れてくれたお茶を静かに飲んでいた。
(百合香なら……もう少し濃い目に淹れてくれるな)
雄二の好みが渋めのお茶だからだ。
無意識にそんなことを思って、小さく吐息を落とした雄二は、その思いごと洗い流したいみたいに茶を口に含んだ。
雪絵は何も言わずにそんな自分をチラチラと盗み見ては、ちびちびと湯呑みを傾ける。
最初のうちこそ怯えた小動物のように身を縮こまらせていた雪絵だったけれど、最近は少しだけ気を許してくれるようになった。
今までは近づいても来なかった野良猫が、差し伸べた手を恐る恐るにおってくれるようになった……。その程度の微々たる変化だが、まあこの生活を始めて一週間ちょっとしか経っていない。おいおい慣れてくれれば御の字だ。
夕暮れ前の、静かな時間。
その静寂を破るみたいに、雄二が胸ポケットへ忍ばせた携帯が、短く震える。
――業務用の着信だ。
雄二は一瞬だけ指を止め、雪絵には見えない角度で画面を確認した。
『外周モニター確認
門前滞在者:桐生百合香(識別済)
すぐに離れへ来い』
今までだって、異常があれば離れに呼び出されることはあった。だが、百合香の名を見た瞬間、雄二の思考は秒で凍りついた。
胸の奥に、鈍い衝撃。
だが、雪絵が小首を傾げてこちらを見ている。表情を崩すわけにはいかない。
「……すみません、お嬢さん。少し、席を外します」
雪絵は顔を上げ、雄二を見る。
「すぐ、戻られますか?」
その問いに含まれた遠慮と戸惑いが、雄二の胸を締め付ける。
(この女は、オヤジから俺のこと、なんて言われてるんだ?)
自分と同じように〝伴侶となる相手として意識しろ〟などと吹き込まれているんだとしたら、なんとも申し訳ない気持ちになる。
いくら上から強要されようとも、今みたいに百合香の名を見ただけで、自分の心はこんなにも掻き乱されてしまうのだ。
(百合香……)
なんと言われようと、心の底から愛しいと思える女は百合香以外にいないと、雄二は痛感させられていた。
「……なるべく早めに戻れるよう善処します」
言いながら、「ですが――」と付け加えずにはいられない。
「……?」
「三〇分経っても私が戻らないようでしたら、先にお一人で夕飯を召し上がられてください」
「千崎さんは?」
「あとでいただきます」
結婚をしているわけでも婚約をしているわけでもない若い娘の家に、自分のような男が一緒に住み、――寝室は別々とはいえ寝食をともにさせられている。
なんとも背徳的な状態だ。
百合香とですら、同棲なんてしたことがなかったのに……とまた百合香のことを思ってしまって、雄二はグシャリと髪を掻き上げると、小さく吐息を落とした。
廊下を進む足取りは……おそらく乱れたりはしていないはずだ。
けれど心臓の音だけが、やけに大きく響いて……それが雪絵に聞かれていなかったかどうかだけが妙に気になった。