それぞれの幸せ
 離れの扉を開けた瞬間、空気が変わった。

 外光を遮断した室内には、複数のモニターが並び、淡い光が壁を照らしている。
 中央の画面に映っていたのは――門前に立つ、女の姿。

 雄二はモニター前に立つと、画面をじっと見つめた。

 街灯に照らされた横顔。
 少しだけ俯いたまま、動かずに立っている。

 ……百合香だ。

 その所在無げで(はかな)げな立ち姿に、胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。
 リアルタイムの映像だ。
 塀一枚隔てたすぐそこに、百合香がいると思うだけで、喉が渇いた。
 今すぐにでも門の所へ走って、百合香を腕の中へ抱きしめてやりたい。
 無意識のうちに、両の拳に力がこもっていた。

「……あれは……お前が捨てた女――桐生百合香で間違いねぇよな?」

 隣に立つ監視役の男が、吐き捨てるように言った。

「ああ……」
 彼が唾棄(だき)するみたいに口にした、〝捨てた〟という言葉が、雄二の胸の奥をえぐるように響く。
「どうする? 二度とここに近づけねぇよう、俺が脅して来てやろうか? ああいう聞き分けのねぇ女にはちぃーと痛い目見せて立場を分からせりゃ――」

「……やめろ」

 考えるより先に、声が出ていた。
 監視役が、品定めでもするみたいにちらりと雄二を見遣る。

「……《《あの女》》は、他人に危害を加えるようなタイプじゃない」

 そう言い切りながら、百合香のことを〝あの女〟などと呼んだことに、胸の内側が軋む。
 本当は名前を呼びたい。
 それを飲み込むみたいに、雄二は視線をモニターから外した。

「頼む。あいつを……これ以上傷つけないでやってくれ」
 雄二のセリフに、監視役はあからさまに吐息を落とした。
「……分かった。今回だけは大目に見てやるよ」
 言いながらも、監視役は肩をすくめる。
「だがな。このことはオヤジには報告する」

 分かっている。
 逃げられない。
 雄二は、何も言えずに黙って頷いた。

 モニターの中で、百合香がゆっくりと(きびす)を返す。
 その背中が画面から消えるまで、雄二は目を逸らせなかった。

 そんな雄二の様子を、監視役の男がどうしようもない者を見るみたいに冷めた目で、冷ややかに見つめていた――。


***


 翌日――。
 雄二は、早速了道から呼び出しを受けた。
 動きの早さから、了道が百合香と自分、そして雪絵との行末についてピリピリとしている様子が窺えるようで、雄二はハンドルを握ったまま小さく吐息を落とさずにはいられない。
 そんな雄二の様子に、後部シートから恐る恐るといった具合に声が掛かった。
「あの……」
 急な召集に、雪絵を一人にしておくわけにはいかず、連れてきたのだが、正直今は一人の方が気が楽だ。
 表向きは「里帰り」という名目で、彼女を連れて葛西の屋敷へ向かっている。
「……千崎さん、昨夜は何かあったんですか? 今日だって急に了道おじちゃんのところへ出向くなんて――」
 昨夜、雪絵と区切り目に設定していた三〇分は過ぎずに母屋へ戻れた雄二だったのだが、頭の中が百合香のことでいっぱいで、結局雪絵と一緒に夕餉(ゆうげ)の席へつくことが出来なかった。
 あとで食べると言ったくせに、雪絵が用意してくれていた食事にも、ひとつも手をつけることなく朝を迎えてしまった。
 雪絵が心配するのも無理はない。

 それは分かってはいるのだが――。

「お嬢さんが心配なさるようなことではありません」
 ミラー越しに雪絵をチラリと見遣って言い放ちながら、こちらを心配そうに見つめてくる後部シートの女が全く無関係というわけではないのだと思い至って、苦々しい気持ちが込み上げる。
 雪絵は何も悪くない。それは分かっていても、彼女さえいなければ、例え葛西組(かさいぐみ)に入ったところで百合香と別れさせられることも無かったんじゃないかとすら考えてしまう。
「でも……」
「どうしたんですか? やけに食い下がりますね。――お嬢さんらしくありませんよ?」
 言って、言外に『これ以上詮索されたくない』と線引きを滲ませる。

 結果、以後は車中で、雪絵はそれ以上何も聞いてはこなかった。
 ただ、いつもより少し硬い表情で、膝の上に手を重ねて窓外にじっと瞳を凝らしていた。
< 37 / 40 >

この作品をシェア

pagetop