それぞれの幸せ
「最悪どこででもやっていけるノウハウを身につけさせるやり方だ」

 雄二は、その言葉に視線を上げた。

 資格も、金も、肩書きも……最初から与えられるものじゃない。

 だが――。
 働く場所があれば、人は簡単には転げ落ちない。

 京介は、そこを一番よく分かっている男だった。


 京介は、視線を雄二に向ける。

「千崎よ。お前の知識は、無駄にしねぇ。だが――最初からテメェに全て押し付ける気はない」

 それは、拒絶じゃない。
 配慮だった。

 雄二は、小さく笑った。

「……分かりました。解体で行きましょう」

 三井が、低く息を吐く。

「遠回りだが、死ににくいしな」

「そうだ」

 京介は机を軽く叩いた。

「相良組は、そういうやり方で行く。組員は家族だ。受け入れたからにゃぁ責任をもって面倒を見る」

 雄二は、その言葉に、何も言わなかった。
 ただ――胸の奥で、少しだけ救われた気がしていた。


***



 パソコンに向かったままフリーズしていた雄二は、向かいのソファに腰掛けたまま、こちらを見つめる三井の視線に気が付いて、顔を上げた。

「……三井、さっきから仕事をしているようには見えないんだが……何か言いたいことでもあるのか?」

 三井は煙草に火をつけることもなく、指先で箱を弄びながら吐息を落とした。

「明日だな」

 一瞬、意味を測りかねた雄二に、三井は続けた。

「雪絵さんの誕生日だよ」

 その一言で、パソコンへ戻りかけていた視線が三井へ戻る。

「分かってんだろ? もうあの人も二十八だぞ?」

 相良組の幹部として。
 京介の片腕として。
 その数字が何を意味するか分からないほど、雄二は鈍くない。

「祝ってやってくれ。頼む」

 三井の声は低く、淡々としていた。
 命令でも、忠告でもない。

 それはかつては雄二と同じ立場にいた人間の、どこか悲痛な叫びだった。

「派手にする必要はねぇ。雪絵さんは小食だ。ケーキはイチゴが乗った小さいのが、ひとつありゃぁいい」

 少し間を置いて、三井は付け足す。

「……彼女、ずっと同じ建設会社だろ。オヤジが口利きしたとこ」

 雄二は小さく息を吐いた。

「ああ……」

 一人で生きていくため手に職をつけて、ぐいぐい前へ進んでいく気がないことは、その働き方で分かっていた。雪絵は、変化を求めているようには見えない。その生活ぶりから、ずっと〝誰かに守られていたい〟という願いが、ありありと滲んでいるように、雄二には思えた。

 三井はそれ以上、何も言わない。

 相良組は、もう走り出している。
 京介が前に立ち、雄二と三井は左右からそんな彼を支えていく。

 組の中での立場は、すでに固まっていた。

 ――私生活だけが、取り残されたままだった。


***


 翌日の夜、雄二はいつもより少し早く帰った。

 相良組の事務所近くで買った、小さなケーキと、白い花を一本。
 大きな花束を渡して気取る気にもなれなかったし、それで十分だと思った。

「……誕生日、おめでとうございます」
 
 そう言ってケーキと一輪の花を差し出すと、雪絵は一瞬、目を丸くした。

「覚えてて……くれたの?」

 柔らかく笑うその顔に、胸の奥がちくりと痛む。

 祝うことはできる。
 だが、答えは出せない。

 雪絵は、了道が斡旋した建設会社で、変わらず事務の仕事を続けている。
 生活は安定している。
 ――雄二との関係も何もかも、何も変わらないまま。

 雄二はその事実から、目を逸らすことができなかった。
 少し前に済ませた百合香の二十九の誕生日には、アクセサリーを渡して、もっと盛大に祝った。
 それが、雪絵の笑顔の前で、やけに後ろめたかった。


***


 相良組が動き出してしばらくしたころ。
 百合香は勤めていたランジェリーメーカーを辞め、相良組の庇護のもと、ランジェリーショップ『YURIKA』を開いた。

 表向きは自立。
 実際は――雄二の目の届く場所へ、彼女を移してしまっただけだ。
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