それぞれの幸せ
 雄二は、そんな雪絵の心の機微を知ってか知らずか、雪絵が〝何に〟緊張しているのか……問いかけてはこなかった。

 代わりに、ほんのわずかに息を吐く。

「……私もです」

 その一言が、雪絵の胸を打った。

 雄二が緊張している。
 きっと――あるいは、雪絵の心がそう思わせてしまうだけなのかもしれないが、彼のそれは、自分とのことをどう断ろうかと考えてのことだろう。

 煌々と照らされた門灯を見上げたと同時、扉が内側から開いて、中から了道の妻・佳代が姿を現した。

「……寒かったでしょう。早く中へお入りなさい」

 柔らかな声音。
 だが、視線はしっかりと二人を捉えている。

「お帰り、雪絵。――千崎さんも」

「……ただいま、佳代おばちゃん」

 雪絵がそう返すと、佳代は一瞬だけ、雪絵の顔をじっと見つめた。
 何かを測るような、確かめるような目。

「ちょっと見ない間に随分綺麗になったわね」

 それから、にこりと微笑む。

「さ、上がって。《《うちの人》》は奥にいるわ」

(覚悟を……決めなくちゃ)

 雪絵は、心の中で小さく呟いた。
 最初から、話の場は整えられている。

 靴を脱ぎ、廊下を進む。
 畳の匂い、障子越しの明かり。
 どれも、覚えているものばかりなのに、今日はひどく遠い。
 今までならば、『雪絵お姉ちゃん!』と飛びついて場を和ませてくれる琴音はもうこの家にいない。

 座敷の前で、佳代が立ち止まった。

「……二人とも」

 振り返った佳代は、先ほどより少しだけ真剣な表情をしていた。

「難しい話になると思うわ。でも――逃げずに、聞いてあげてね。あと……変に遠慮はしないこと」

 その言葉が、佳代なりの優しさなのだと、雪絵には、よく分かってしまった。
 佳代は了道の話を聞いたうえで、ちゃんと自分の意見を言いなさい、と背中を押してくれている。

「はい……」

 雪絵が小さく答えると、佳代は一度だけ頷き障子に手を掛けた。

 静かに、開かれる。

「二人がいらっしゃいましたよ」

 佳代の声と同時に、座敷の奥で、低い声が響いた。

「……入れ」

 葛西了道。

 その声を聞いた瞬間、雪絵の背筋が自然と伸びた。
 幼い頃から染みついた反応。

 雄二の背後に付き従うようにして、座敷へ足を踏み入れる。

 畳に座る了道は、いつもと変わらない姿だった。
 だが、その目だけが――逃がさないと告げている。

 雪絵は、静かに正座した。
 膝の上で手を揃えながら、胸の奥で深く息を吸う。

(……来てしまった)

 もう、引き返せない。

 ここから先は、待つことも、曖昧にすることも、許されない。

 雪絵は、伏せていた視線を、ゆっくりと上げた。

 ――今夜、雄二との関係性が確定する。

 そう、はっきりと分かっていた。


***


 重苦しい沈黙が、座敷内を満たしていた――。

 了道が口火を切るはずだったんだろう。だが、それを制するようにして、真っ先に口を開いたのは、いつも控えめに人の後ろへ付き従うようにしている雪絵だった。

「……了道おじちゃん」

 今、この場で決められようとしているのは他でもない。自分自身のことなのだ。そのことを、他者任せにしたくないという思いが、雪絵を奮い立たせていた。

 雪絵本人でさえも驚くほど、その声は落ち着いていた。
 喉の奥がひりつく感覚はあるのに、逃げたくないという思いが声に乗ったんだろう。

「今日、ここに呼ばれたのは――千崎さんと、私の関係について……ですよね?」

 一拍。

 了道の視線が、雪絵に向けられる。
 それだけで空気が張り詰めるのを、幼い頃から雪絵は知っていた。

「……続けろ」

 低く促され、雪絵は小さく息を吸う。

「おじちゃんも分かってると思うけど……私……千崎さんのことが、好きです」

 はっきりと。
 逃げ場を残さない言い方で。

「叶うなら……一緒になりたいと、思っています」

 言い切った瞬間、胸の奥が静まった。
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