それぞれの幸せ
第2節 千崎雄二『突きつけられた条件』
座敷に入った瞬間、雄二は空気の張りつめ方が変わったことに気が付いた。
畳の上に正座する雪絵は、背筋をまっすぐに伸ばし、膝の上に両手を重ねている。いつも自分の陰へ隠れるようにして控えめに歩くことが多かった雪絵の纏う雰囲気が、どこか違って感じられた。視線は伏せ気味で、表情は読み取れないが、常ならば伝わってくるはずの微かな緊張や遠慮が、今日は不思議なほど感じられない。
そればかりか、普段なら誰かが何かを言って……それに唯々諾々と従う雪絵が、了道よりも先に口を開いた。
「今日、ここに呼ばれたのは――千崎さんと、私の関係について……ですよね?」
その機微は、目の前に座る了道も感じ取ったんだろう。誰よりも先に口を開いた雪絵に違和感を覚えたんだろうか。まるで空気を一新したいみたいに、低く咳払いをした。
「……続けろ」
「おじちゃんも分かってると思うけど……私……千崎さんのことが、好きです」
短く、はっきりとした返事だった。
だからこそ雄二と結婚したいと思っている、と――。
雄二は、淡々と言葉を紡ぐ雪絵の横顔に、小さな違和感を覚える。冷たいわけではない。けれど、どこか温度がない。まるで、あらかじめ用意してきた文章を読み上げるような調子だった。
少なくとも愛の告白をしている女の顔ではない。
雄二は雪絵の凛とした表情とよどみない口調が、まるで戦地に赴く戦士のようだと思った。
了道もそれを感じ取ったんだろう。雪絵の保護者らしく、雄二に責任を取れと言わんばかりの物言いをしてきた。
了道の命令だったから、自分は雪絵とひとつ屋根の下で暮らす生活を受け入れた。
それが自分の意志かと問われれば、答えは違う。
雄二の中で、最初から基準になっていたのは別の場所にあった。
百合香の存在は、いつだって雄二の判断の起点だった。
手放せないと告げたときの覚悟も、その覚悟を咎められたときの怒りも、すべては彼女を失わないためのものだった。
了道は言った。
雪絵はできた女だから、愛人の存在くらいは受け入れるだろう、と。
それを聞いたとき、雄二は反射的に「ふざけるな」と思った。
誰かに許してもらって続ける関係など、百合香が望むはずがない。
案の定、百合香は雄二に何も求めなかった。
そばにいられるなら、それでいい。
結婚など望んでいないと、静かに言った。
その言葉に救われたのか、縛られたのか。
雄二自身にも、もう分からなかった。
ただひとつ確かなのは、雄二がこれまで選んできたすべてが、百合香を基準にしていたという事実だけ。
なのに……。
今さら雪絵に対して誠意を見せろ、百合香とは別れろ……とは随分都合がよすぎる話だ。
前にも話した通り、雄二は百合香を誰よりも愛しているし、例え別の女性と所帯を持つことになったとしても、百合香以上に愛せるとは思えない。
そんな男に嫁いで、幸せになれるはずがないではないか――。
それだって、前に了道へはちゃんと話しておいたはずだし、もっと言えば雪絵も――偶然とはいえ――それを聞いたはずなのだ。
そのうえで了道は百合香を捨てて雪絵を選べと言う。
今さら何を言い出すんだ、と思った。
だが、どんなに雄二が反対したところで、了道が〝決定事項だ〟と告げれば、恐らくはそうされてしまう。
雄二としては絶望的な状況と言えた。
だが、そんな了道を止めたのもまた、雪絵だった。
雪絵は雄二に愛する人との仲は容認する旨、だがそこを譲歩する代わりに条件があると言い放った。
畳の上に正座する雪絵は、背筋をまっすぐに伸ばし、膝の上に両手を重ねている。いつも自分の陰へ隠れるようにして控えめに歩くことが多かった雪絵の纏う雰囲気が、どこか違って感じられた。視線は伏せ気味で、表情は読み取れないが、常ならば伝わってくるはずの微かな緊張や遠慮が、今日は不思議なほど感じられない。
そればかりか、普段なら誰かが何かを言って……それに唯々諾々と従う雪絵が、了道よりも先に口を開いた。
「今日、ここに呼ばれたのは――千崎さんと、私の関係について……ですよね?」
その機微は、目の前に座る了道も感じ取ったんだろう。誰よりも先に口を開いた雪絵に違和感を覚えたんだろうか。まるで空気を一新したいみたいに、低く咳払いをした。
「……続けろ」
「おじちゃんも分かってると思うけど……私……千崎さんのことが、好きです」
短く、はっきりとした返事だった。
だからこそ雄二と結婚したいと思っている、と――。
雄二は、淡々と言葉を紡ぐ雪絵の横顔に、小さな違和感を覚える。冷たいわけではない。けれど、どこか温度がない。まるで、あらかじめ用意してきた文章を読み上げるような調子だった。
少なくとも愛の告白をしている女の顔ではない。
雄二は雪絵の凛とした表情とよどみない口調が、まるで戦地に赴く戦士のようだと思った。
了道もそれを感じ取ったんだろう。雪絵の保護者らしく、雄二に責任を取れと言わんばかりの物言いをしてきた。
了道の命令だったから、自分は雪絵とひとつ屋根の下で暮らす生活を受け入れた。
それが自分の意志かと問われれば、答えは違う。
雄二の中で、最初から基準になっていたのは別の場所にあった。
百合香の存在は、いつだって雄二の判断の起点だった。
手放せないと告げたときの覚悟も、その覚悟を咎められたときの怒りも、すべては彼女を失わないためのものだった。
了道は言った。
雪絵はできた女だから、愛人の存在くらいは受け入れるだろう、と。
それを聞いたとき、雄二は反射的に「ふざけるな」と思った。
誰かに許してもらって続ける関係など、百合香が望むはずがない。
案の定、百合香は雄二に何も求めなかった。
そばにいられるなら、それでいい。
結婚など望んでいないと、静かに言った。
その言葉に救われたのか、縛られたのか。
雄二自身にも、もう分からなかった。
ただひとつ確かなのは、雄二がこれまで選んできたすべてが、百合香を基準にしていたという事実だけ。
なのに……。
今さら雪絵に対して誠意を見せろ、百合香とは別れろ……とは随分都合がよすぎる話だ。
前にも話した通り、雄二は百合香を誰よりも愛しているし、例え別の女性と所帯を持つことになったとしても、百合香以上に愛せるとは思えない。
そんな男に嫁いで、幸せになれるはずがないではないか――。
それだって、前に了道へはちゃんと話しておいたはずだし、もっと言えば雪絵も――偶然とはいえ――それを聞いたはずなのだ。
そのうえで了道は百合香を捨てて雪絵を選べと言う。
今さら何を言い出すんだ、と思った。
だが、どんなに雄二が反対したところで、了道が〝決定事項だ〟と告げれば、恐らくはそうされてしまう。
雄二としては絶望的な状況と言えた。
だが、そんな了道を止めたのもまた、雪絵だった。
雪絵は雄二に愛する人との仲は容認する旨、だがそこを譲歩する代わりに条件があると言い放った。