それぞれの幸せ
 だが、今の物言いは……まるで……。雄二のことを子を得るためだけの〝道具〟にしたいと言っているようではないか。

「……《《雪絵さん》》」

 あえて〝お嬢さん〟と呼ばず、彼女の名を呼ぶと、雪絵はまっすぐにこちらを見やった。
 雄二のことを愛していると言いながら、自分に初めて名を呼ばれたことを喜ぶでも照れるでもない……。それが余計に〝おかしい〟と思えた。

「その条件で本当にあなたは満足なんですか?」

「満足……? おかしなことをおっしゃいますね、雄二さん。これは、私なりの精一杯の愛情表現ですよ」
 雪絵はニコリと微笑むと、淡々とそう言った。
「雄二さん。私、あなたから一番に愛されることは諦めました。――ですが、代わりに愛するあなたの子が欲しい。お互い譲れない部分は守りながらも譲歩しあえる妥当な筋だとは思いませんか? 曖昧な気持ちや、期待だけで時間を無為にすることは、やめにしましょう」

 了道が、苦々しげに息を吐く。

「雪絵……。結婚ってのは、そんな契約みたいなもんじゃ――」

「分かっています」

 雪絵は、言葉を遮るように答えた。

「でも、私はそれでいいんです。極道の妻としての役割を果たす覚悟はあります」

 役割。

 その言葉が、雄二の胸に引っかかった。

 愛している、と言いながら、まるでそのことに頓着していないかのような物言い。
 本当に自分は目の前の女に愛されているんだろうか? と思ってしまう。
 今朝仕事場へ雪絵を送った時までは、こんな感じではなかったと思う。
 気付かないふりをしていたが、雪絵から発せられる甘やかな空気みたいなものは、嫌でも感じさせられていた。

 だが――。

 今、目の前にいる雪絵は、まるで自分自身の感情を切り離した別人のようだった。

 了道はしばらく黙り込み、やがて雄二に視線を向けた。

「千崎。聞いたな」

 低く、逃げ道を塞ぐ声。

「この条件を飲めるかどうか……俺はお前に判断をゆだねたい。俺としちゃぁここまで雪絵に言わせた以上責任を取れと言いたい。だが、無理にとは言わん。ただな、ここまで雪絵を追い詰めたのは誰なんだってことを考えたうえで……雪絵の覚悟を無駄にする気があるなら、ここできっぱり断れ」

 断ることを是としながらも、その口調からはそうすることを許さない了道の感情が、ありありとにじみ出ていた。

(こんなの、答えはひとつしかないじゃないか)

 雄二は、再び雪絵を見る。
 彼女はただ静かに待っていた。縋りも、訴えもない。ただ、結果を受け入れる姿勢だけがそこにある。

(どうしてこうなった? オヤジが言うようにやはり俺のせいなのか?)

 雄二を追い詰めているのは紛れもなく目の前にいる雪絵だ。だが、不思議と彼女を責める言葉が浮かばなかった。

 雄二は、深く息を吸った。

「……分かりました」

 自分の声が、少し掠れているのが分かる。

「その条件、全部飲みましょう」

 その瞬間だけ、雪絵の人形のような表情に、わずかばかり感情の機微のようなものが見えた気がしたけれど、すぐさまそれは消えてしまう。雪絵は三つ指をついて雄二に綺麗なお辞儀をした。

「ありがとうございます」

 その一言が感謝なのか、確認なのか。雄二には、最後まで分からなかった。

 ただひとつだけ確かなのは、こんな決断を迫ってきた雪絵への怒りや(あわれ)みよりも――百合香に対する申し訳なさの方が強いということだった。
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