それぞれの幸せ
 微熱があるからか、身体も熱っぽく、回復しようと励んでいるのか……眠気がなかなか抜けてくれない。
 立ち上がった拍子に、ふわりと視界が揺れることもあった。

 雪絵は幼いころから身体があまり強い方ではない。熱を出すたび、三井がオロオロしながら看病してくれていたのを覚えている。
(三井、どうしてるかな……)
 自分の世話係を外されてからこちら、全然顔を見ていない彼のことをふと思い出したのは、体調が万全じゃない心細さからかもしれない。
(三井のすりおろしリンゴ、食べたいな……)
 もういい大人なのだから、自分ですりおろせばいいのだけれど、体調不良というのはそういうことをすることさえも億劫に感じさせてしまうらしい。
 夫の雄二伝手(づて)に、三井が元気にしていることは何となく把握している。
 雄二とは毎日のように顔を合わせているらしいから、少しぐらい顔を見に来てくれてもいいのに……とか、兄を慕うような気持ちで思ってからフルフルと首を横に振る。
 よくわからないが、三井だっていい年だ。きっと結婚して新しい家庭を築いていて、雪絵のことなんて忘れているに違いない。
 自分も雄二との夫婦生活で一杯一杯なのだ。
 弱っているからと言って、三井を思い出して会いに来てくれないことを薄情だと思うのはお門違いだろう。

 日常生活に支障が出るほどではない小さな不調の数々だ。少し休めばよくなるだろう。
 こんなこと、幼いころからよくあることだ。

 それでも、ひとつだけ変わったことがある。

 雄二に「月のものが来たので、しばらくは抱いてくださらなくて大丈夫です」と告げる必要がない。
 体調を崩すと生理が遅れることは、昔からよくあった。
 反動で次に来た時、生理痛が重くなったりするから嫌だったけれど、今は遅れていることが密やかな喜びだ。

 来ないこと自体、雪絵にはそれほど珍しいことではないし、不安には思わない。
 ただ、そのおかげで、雄二が自分に触れてくれる夜が続くことが純粋に嬉しい。

 雄二にも風邪をひいたり心配事があったりすると生理が乱れがちなことは言ってあったし、何の問題もなかった。

 けれど、昨夜は違った。

 寝室でいつものように身体を抱き寄せられたとき、雄二は雪絵の首筋にそっと触れるなり、すぐに離れた。

「……少し熱っぽい期間が長すぎないか?」

 低い声でそう言ってから、雄二は布団を整え直す。

「体調が戻るまではやめておこう」

 それだけだった。もともとそういう約束だったし、それを理由に拒まれたのはある意味仕方がない。

 でも、生理でも高熱を出しているわけでもないのに抱いてもらえない夜は久々で、雪絵は胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。

 ――嫌われたわけじゃない。……むしろ、気遣われているくらいよ?

 そう思い直して目を閉じた。

 翌日の朝食時、雪絵はほとんど箸を進められなかった。
 茶碗から立ち上るご飯の湯気を吸い込んだだけで、喉の奥がむかついて、どうにも食欲がわいてこない。

 今日は仕事を休ませてもらった方がいいかもしれない。
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