それぞれの幸せ
第2節 千崎雄二『履行』
雪絵からの条件をすべて呑むと告げた時点で、雄二の中ではやるべきことが、すでに整理できていた。
雪絵から提示された事項は、結婚を望む女からのものとしてはどれも特別なものではない。突飛でもなければ、理解できない内容でもなかった。
ただし、それは――百合香の存在を、判断の材料から切り離すならば、という前提付きだ。
雄二にとって、最優先に置くべきものは、いつだって百合香への想いだった。
それを考慮に入れた瞬間、この要求は単純ではなくなる。
だから、雪絵の提案を受け入れると決めた時、雄二はあえて百合香のことはひとまず考えないでおこうと心に決めた。
感情を殺さなければ、合理的に進まない場面がある。
それが理解出来ないほど、雄二は青くなかった。
(百合香なら、きっと俺の気持ちを汲んでくれる)
それは百合香への甘えだ。
だが同時に、現実を踏まえた判断でもある。
百合香自身、自分との結婚は望んでいないと言っていた。
そもそも、極道の道に身を落とした今の雄二では、彼女の戸籍を汚すことになる。
そんなことは、雄二自身望んでいなかった。
そう割り切ってしまわなければ、受け取るべきものと、差し出すべきものが、過不足なく並べられなくなる。
迷う理由は、整理の段階で切り捨てなければならない。
条件を守る限り、雪絵は百合香との逢瀬について口出ししないと言った。
雄二にとって重要なのは、それだけだった。
雪絵が求めているのは、誠意ではない。
自分を愛していると言いながら、百合香の存在を認めるという矛盾を受け入れている時点で、夫としての感情など必要ないのだと理解した。
ならば、やるべきことは明確だ。
雪絵に対しては、任務としての履行に徹する。
百合香を守るために必要な範囲で、夫の役割を淡々と果たす。
それで十分だろう。
百合香以外の女を抱くことも、そう考えればただの作業になる。出来ないことではない。
雄二は煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら雪絵の言葉を反芻した。
一言一句、正確に。余計な解釈を挟まないよう、できるだけ平坦に。
声の調子や視線の揺れは、判断には不要な情報だ。条件として成立している以上、それ以上を読み取る意味はない。
あれは、泣き落としでも、縋りつきでもなかった。
雪絵はただ、必要な条件を提示しただけ。
それを受け取った以上、取るべき行動は決まっている。
条件を呑むと答えた以上、どう応え、どう履行するかを考える。
それが最も合理的だった。
少なくとも、その時点では。
***
翌日から、雄二は淡々と動き始めた。
大仰な準備が必要なわけではない。
生活の中で、少しずつ振る舞いを変えていくだけだ。
雪絵に対して向ける視線の角度、言葉の選び方、距離の取り方。
これまで意識的に避けてきた部分を、意図的に拾い上げていく。
必要以上に冷たくしない。
かといって、余計な情を滲ませない。
相手が不満を抱かない程度に、しかし期待を持たせすぎないように――。
その加減を測ることに、難しさは感じなかった。ある意味これまで雪絵と暮らしてきた中で培ってきた彼女との共同生活に、夜の営みというほんの少しの違いを加えるだけだ。
雄二にとって、それは感情の問題ではない。
条件を守るための調整であり、履行の一部だった。
雪絵が何を求めているのかは、すでに把握している。
言葉として示された条件だけでなく、その裏にある「不足」を補えばいい。
夫としての役割を果たしている、そう認識させるだけで彼女は満足するだろう。
触れる必要があるなら触れる。
時間を割く必要があるなら割く。
それらはすべて、目的のための工程にすぎなかった。
百合香との甘いひと時を守るために。
それ以外の理由は、雄二の中には存在しない。
感情を伴わない行為が、どこまで可能なのか。
その検証を始めるような気分で、雄二は自分の行動を組み立てていった。
雪絵から提示された事項は、結婚を望む女からのものとしてはどれも特別なものではない。突飛でもなければ、理解できない内容でもなかった。
ただし、それは――百合香の存在を、判断の材料から切り離すならば、という前提付きだ。
雄二にとって、最優先に置くべきものは、いつだって百合香への想いだった。
それを考慮に入れた瞬間、この要求は単純ではなくなる。
だから、雪絵の提案を受け入れると決めた時、雄二はあえて百合香のことはひとまず考えないでおこうと心に決めた。
感情を殺さなければ、合理的に進まない場面がある。
それが理解出来ないほど、雄二は青くなかった。
(百合香なら、きっと俺の気持ちを汲んでくれる)
それは百合香への甘えだ。
だが同時に、現実を踏まえた判断でもある。
百合香自身、自分との結婚は望んでいないと言っていた。
そもそも、極道の道に身を落とした今の雄二では、彼女の戸籍を汚すことになる。
そんなことは、雄二自身望んでいなかった。
そう割り切ってしまわなければ、受け取るべきものと、差し出すべきものが、過不足なく並べられなくなる。
迷う理由は、整理の段階で切り捨てなければならない。
条件を守る限り、雪絵は百合香との逢瀬について口出ししないと言った。
雄二にとって重要なのは、それだけだった。
雪絵が求めているのは、誠意ではない。
自分を愛していると言いながら、百合香の存在を認めるという矛盾を受け入れている時点で、夫としての感情など必要ないのだと理解した。
ならば、やるべきことは明確だ。
雪絵に対しては、任務としての履行に徹する。
百合香を守るために必要な範囲で、夫の役割を淡々と果たす。
それで十分だろう。
百合香以外の女を抱くことも、そう考えればただの作業になる。出来ないことではない。
雄二は煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら雪絵の言葉を反芻した。
一言一句、正確に。余計な解釈を挟まないよう、できるだけ平坦に。
声の調子や視線の揺れは、判断には不要な情報だ。条件として成立している以上、それ以上を読み取る意味はない。
あれは、泣き落としでも、縋りつきでもなかった。
雪絵はただ、必要な条件を提示しただけ。
それを受け取った以上、取るべき行動は決まっている。
条件を呑むと答えた以上、どう応え、どう履行するかを考える。
それが最も合理的だった。
少なくとも、その時点では。
***
翌日から、雄二は淡々と動き始めた。
大仰な準備が必要なわけではない。
生活の中で、少しずつ振る舞いを変えていくだけだ。
雪絵に対して向ける視線の角度、言葉の選び方、距離の取り方。
これまで意識的に避けてきた部分を、意図的に拾い上げていく。
必要以上に冷たくしない。
かといって、余計な情を滲ませない。
相手が不満を抱かない程度に、しかし期待を持たせすぎないように――。
その加減を測ることに、難しさは感じなかった。ある意味これまで雪絵と暮らしてきた中で培ってきた彼女との共同生活に、夜の営みというほんの少しの違いを加えるだけだ。
雄二にとって、それは感情の問題ではない。
条件を守るための調整であり、履行の一部だった。
雪絵が何を求めているのかは、すでに把握している。
言葉として示された条件だけでなく、その裏にある「不足」を補えばいい。
夫としての役割を果たしている、そう認識させるだけで彼女は満足するだろう。
触れる必要があるなら触れる。
時間を割く必要があるなら割く。
それらはすべて、目的のための工程にすぎなかった。
百合香との甘いひと時を守るために。
それ以外の理由は、雄二の中には存在しない。
感情を伴わない行為が、どこまで可能なのか。
その検証を始めるような気分で、雄二は自分の行動を組み立てていった。