それぞれの幸せ
【挿話】桐生百合香『ここでは、店長』
午後の店内は、柔らかな照明に包まれていた。
壁一面に並ぶランジェリー。
色とりどりのレースが、静かに光を受けて揺れている。
私が相良組から出資を受けて任されているここ――ランジェリーショップ『YURIKA』には、下着デビューを果たしたばかりの小学生がつけられそうなスポーツブラから、身に纏うだけで背筋が伸びるようなラグジュアリー・ランジェリー、そして付けたまま性行為ができてしまえる過激なセクシーランジェリーまで……多種多様な下着たちが並べられている。
「理沙ちゃん、お客様のフィッティング、お願いできる?」
他のお客様の対応に追われていた私は、奥の試着室からの気配に、ここでバイトをしてくれている古参店員の沢木理沙ちゃんへ視線を向けた。三人姉妹の長女で、大学生の頃からこの店を手伝ってくれている子だ。
「はい、店長」
私の言葉を受けて、理沙ちゃんが小走りにそちらへ向かってくれる。
私はお客様に寄り添っておすすめの下着をいくつか見繕いながら、売り場をぐるりと見渡した。
今、店内にはお客様が三組。
理沙ちゃんに行ってもらった試着中の方が一人、自由に商品を見ている方が一人、私にあれこれアドバイスを求めていらっしゃる方が一人。
店内の流れは落ち着いている。
――大丈夫。今日もちゃんと回っている。
ここにいる私は、千崎雄二の愛人・桐生百合香じゃない。
ランジェリーショップ『YURIKA』の責任者だ。
私情は持ち込まない。
感情で接客しない。
誰に対しても同じ温度で接する。
この店を守るために、私が自分に課している決まりごと。
だから――。
三名のお客様たちを無事送り出して、ホッと一息ついたそのとき。ベルが小さく鳴って、入口の扉から愛しい男性が入ってきても、私は平常心のまま――。
仕立ての良いスーツ。
落ち着いた歩き方。
シンプルなメガネのレンズ越しにこちらを見つめる、理知的で静かな瞳。
千崎雄二――雄ちゃん――だ。
いつもなら一人でふらりと来るはずの彼が、今日はもう一人、黒いスーツ姿の男性と連れ立っていることが不思議に思えた。
雄ちゃんの半歩後ろに立つ、彼より少し年かさのその男性が、三井隆司ということは、相良組と付き合いがある店のオーナーという立場で知っている。
確か三井さんは、雄ちゃんと同じ立ち位置の幹部だ。
この店には、恋人に自分好みの下着を……といらっしゃる男性もちらほらおられる。だから彼らが客層の中にいても、何一つ浮かない装いのはずなのだけれど……。
この人たちが、ただの客じゃないことを知っているからかな。
やっぱりどこか異質に感じられてしまう。
「いらっしゃいませ、千崎様、三井様」
まるで客が店内から引けたのを見計らったみたいに入ってきた二人に、私はいつも通りの〝店長としての笑顔〟でそう言った。
「繁盛してそうだな、オーナー」
店内に入ってくるなり、雄ちゃんが穏やかな声で言う。
〝オーナー〟。
店長と呼ばれることが多い私を、雄ちゃんだけは徹底してそう呼んだ。
それだって何ら問題はない呼び方のはずなのに、その声にはほんの少しだけ、私を〝恋人〟として知っている男の温度が混ざっていた。
「おかげさまで」
私は(平常心、平常心……)と心の中で唱えながら、笑顔で答える。
ここでの私は、あくまでも店長。
それ以上でも、それ以下でもない。
雄ちゃんの隣で、三井さんが軽く店内を見渡している。
そして私に視線を向けると、形式だけの会釈をした。
「どうも、《《桐生》》さん」
「お久しぶりです……」
私を店長と呼ばない三井さんに、私は雄ちゃんにしたのと同じ温度で頭を下げた。
壁一面に並ぶランジェリー。
色とりどりのレースが、静かに光を受けて揺れている。
私が相良組から出資を受けて任されているここ――ランジェリーショップ『YURIKA』には、下着デビューを果たしたばかりの小学生がつけられそうなスポーツブラから、身に纏うだけで背筋が伸びるようなラグジュアリー・ランジェリー、そして付けたまま性行為ができてしまえる過激なセクシーランジェリーまで……多種多様な下着たちが並べられている。
「理沙ちゃん、お客様のフィッティング、お願いできる?」
他のお客様の対応に追われていた私は、奥の試着室からの気配に、ここでバイトをしてくれている古参店員の沢木理沙ちゃんへ視線を向けた。三人姉妹の長女で、大学生の頃からこの店を手伝ってくれている子だ。
「はい、店長」
私の言葉を受けて、理沙ちゃんが小走りにそちらへ向かってくれる。
私はお客様に寄り添っておすすめの下着をいくつか見繕いながら、売り場をぐるりと見渡した。
今、店内にはお客様が三組。
理沙ちゃんに行ってもらった試着中の方が一人、自由に商品を見ている方が一人、私にあれこれアドバイスを求めていらっしゃる方が一人。
店内の流れは落ち着いている。
――大丈夫。今日もちゃんと回っている。
ここにいる私は、千崎雄二の愛人・桐生百合香じゃない。
ランジェリーショップ『YURIKA』の責任者だ。
私情は持ち込まない。
感情で接客しない。
誰に対しても同じ温度で接する。
この店を守るために、私が自分に課している決まりごと。
だから――。
三名のお客様たちを無事送り出して、ホッと一息ついたそのとき。ベルが小さく鳴って、入口の扉から愛しい男性が入ってきても、私は平常心のまま――。
仕立ての良いスーツ。
落ち着いた歩き方。
シンプルなメガネのレンズ越しにこちらを見つめる、理知的で静かな瞳。
千崎雄二――雄ちゃん――だ。
いつもなら一人でふらりと来るはずの彼が、今日はもう一人、黒いスーツ姿の男性と連れ立っていることが不思議に思えた。
雄ちゃんの半歩後ろに立つ、彼より少し年かさのその男性が、三井隆司ということは、相良組と付き合いがある店のオーナーという立場で知っている。
確か三井さんは、雄ちゃんと同じ立ち位置の幹部だ。
この店には、恋人に自分好みの下着を……といらっしゃる男性もちらほらおられる。だから彼らが客層の中にいても、何一つ浮かない装いのはずなのだけれど……。
この人たちが、ただの客じゃないことを知っているからかな。
やっぱりどこか異質に感じられてしまう。
「いらっしゃいませ、千崎様、三井様」
まるで客が店内から引けたのを見計らったみたいに入ってきた二人に、私はいつも通りの〝店長としての笑顔〟でそう言った。
「繁盛してそうだな、オーナー」
店内に入ってくるなり、雄ちゃんが穏やかな声で言う。
〝オーナー〟。
店長と呼ばれることが多い私を、雄ちゃんだけは徹底してそう呼んだ。
それだって何ら問題はない呼び方のはずなのに、その声にはほんの少しだけ、私を〝恋人〟として知っている男の温度が混ざっていた。
「おかげさまで」
私は(平常心、平常心……)と心の中で唱えながら、笑顔で答える。
ここでの私は、あくまでも店長。
それ以上でも、それ以下でもない。
雄ちゃんの隣で、三井さんが軽く店内を見渡している。
そして私に視線を向けると、形式だけの会釈をした。
「どうも、《《桐生》》さん」
「お久しぶりです……」
私を店長と呼ばない三井さんに、私は雄ちゃんにしたのと同じ温度で頭を下げた。