それぞれの幸せ
「今日はお二人でのご来店なんですね」
そう尋ねると、
「ええ。ちょっとばかり《《内輪の方で》》問題がありましてね」
雄ちゃんが答えるより先に、三井さんが、すっと会話に入った。
表面上は当たり障りのない物言い。
でも。
――どこか含みを感じさせる言葉だった。
はっきり言われなくても、『千崎と二人きりにしねぇようにだよ』という意図が、十分に伝わってきた。
「……そうですか」
言外の意味に気付いているのを承知のうえで、私も当たり障りのない返しをする。大変ですね、とか……何かあったんですか? とか馬鹿なことは絶対に聞かない。
そもそも、ここにはいつも……私だけじゃなく理沙ちゃんだっているのだ。二人きりになんてなれるわけがない。
それをこんな風に警戒されていることが、『あんたのこと、一切信頼してないから』と言われているようでつらい。
きっと雄ちゃんも、三井さんが私に向けている敵意のようなものに気づいているはずだ。
それでも、特に表情を変えず、黙っている。
「定例の帳簿チェック、させてもらえますか?」
「……もちろんです」
雄ちゃんの言葉に応える私を、三井さんがじっと見つめてくる。
すごく居心地が悪いと感じてしまうのは、私が雄ちゃんの奥様に対して後ろめたい気持ちを抱えているからかな。
「では、裏の方でお待ちいただけますか?」
店長の声で応じる。
「裏の方、ね……」
三井さんの声に少し棘が混ざる。別に、やましいことなんて……この店内でしたことなんてないのに。
私と雄ちゃんが〝そういう関係〟だと知っているから、邪推されちゃうんだ。
それが、すごく悲しかった。
ここでの私と雄ちゃんは、あくまでも相良組の人間と、そこに恩義のある店のオーナーという関係なのに。
二人が売り場の奥にある、スタッフルームへ移動していく背中を見送りながら、私は胸の奥の小さなざわめきを懸命に押し込めた。
「理沙ちゃん、ごめんね。ちょっと裏に入るね?」
ちゃんといつも通り、毅然とした態度で言葉を紡げたはず。
なのに――。
「店長」
どこか気遣わしげな小声で呼び掛けられて、理沙ちゃんがソワソワとした様子で私に近付いてくる。
「あの……千崎さんと一緒にいらしてたもう一人の方……」
「うん?」
「なんか、怖い人っぽく見えましたけど……大丈夫ですか?」
思わず瞳を見開いてしまう。理沙ちゃんは、本当に鋭い。
「そう?」
「私、千崎さんは普通の会社にお勤めの……取引先の方かなって思ってたんですけど……」
理沙ちゃんがちらりとスタッフルームの方へ視線を流す。
「一緒に来た人……なんかちょっと怖かったですし、お節介かもしれませんが、心配です」
私は視線だけでそちらを追った。
スタッフルームの扉は閉ざされている。雄ちゃんは、あんな剣呑とした雰囲気の三井さんと二人きりで平気かな。
罰を受けるなら私も一緒に……。
「店長?」
「あ、ごめんね。心配しなくて大丈夫。ただの仕事のお客様よ」
私はそう言って、くるりと踵を返した。
それ以上の説明はしない。
ここでの私は、あくまでもお店を守る店長だから。
雄ちゃんの恋人でもない。
雄ちゃんとの過去にも取りすがらない。
ただ、忠実にこの店を守る人間。
そう決めている。
それでも――。
***
帰り際。
「邪魔したな」
店を出る直前、雄ちゃんが振り返ってそう言った。
〝……また来る〟
声には出さず、口の動きだけでそう伝えてくる。
三井さんが一緒だからだろう。
瞬間向けられた、ほんの少しだけ柔らかい眼差し。
その目が一瞬だけ、私を〝百合香〟として見た気がした。
扉が閉まる。
ベルが静かに鳴る。
店内は、またいつもの空気に戻った。
「店長?」
呼ばれて、私は顔を上げる。
「なぁに?」
そう答えながら、心の中で静かに言い聞かせる。
――ここでの私は、桐生百合香じゃない。
ランジェリーショップ『YURIKA』の店長。
ここでは、店長。
そう尋ねると、
「ええ。ちょっとばかり《《内輪の方で》》問題がありましてね」
雄ちゃんが答えるより先に、三井さんが、すっと会話に入った。
表面上は当たり障りのない物言い。
でも。
――どこか含みを感じさせる言葉だった。
はっきり言われなくても、『千崎と二人きりにしねぇようにだよ』という意図が、十分に伝わってきた。
「……そうですか」
言外の意味に気付いているのを承知のうえで、私も当たり障りのない返しをする。大変ですね、とか……何かあったんですか? とか馬鹿なことは絶対に聞かない。
そもそも、ここにはいつも……私だけじゃなく理沙ちゃんだっているのだ。二人きりになんてなれるわけがない。
それをこんな風に警戒されていることが、『あんたのこと、一切信頼してないから』と言われているようでつらい。
きっと雄ちゃんも、三井さんが私に向けている敵意のようなものに気づいているはずだ。
それでも、特に表情を変えず、黙っている。
「定例の帳簿チェック、させてもらえますか?」
「……もちろんです」
雄ちゃんの言葉に応える私を、三井さんがじっと見つめてくる。
すごく居心地が悪いと感じてしまうのは、私が雄ちゃんの奥様に対して後ろめたい気持ちを抱えているからかな。
「では、裏の方でお待ちいただけますか?」
店長の声で応じる。
「裏の方、ね……」
三井さんの声に少し棘が混ざる。別に、やましいことなんて……この店内でしたことなんてないのに。
私と雄ちゃんが〝そういう関係〟だと知っているから、邪推されちゃうんだ。
それが、すごく悲しかった。
ここでの私と雄ちゃんは、あくまでも相良組の人間と、そこに恩義のある店のオーナーという関係なのに。
二人が売り場の奥にある、スタッフルームへ移動していく背中を見送りながら、私は胸の奥の小さなざわめきを懸命に押し込めた。
「理沙ちゃん、ごめんね。ちょっと裏に入るね?」
ちゃんといつも通り、毅然とした態度で言葉を紡げたはず。
なのに――。
「店長」
どこか気遣わしげな小声で呼び掛けられて、理沙ちゃんがソワソワとした様子で私に近付いてくる。
「あの……千崎さんと一緒にいらしてたもう一人の方……」
「うん?」
「なんか、怖い人っぽく見えましたけど……大丈夫ですか?」
思わず瞳を見開いてしまう。理沙ちゃんは、本当に鋭い。
「そう?」
「私、千崎さんは普通の会社にお勤めの……取引先の方かなって思ってたんですけど……」
理沙ちゃんがちらりとスタッフルームの方へ視線を流す。
「一緒に来た人……なんかちょっと怖かったですし、お節介かもしれませんが、心配です」
私は視線だけでそちらを追った。
スタッフルームの扉は閉ざされている。雄ちゃんは、あんな剣呑とした雰囲気の三井さんと二人きりで平気かな。
罰を受けるなら私も一緒に……。
「店長?」
「あ、ごめんね。心配しなくて大丈夫。ただの仕事のお客様よ」
私はそう言って、くるりと踵を返した。
それ以上の説明はしない。
ここでの私は、あくまでもお店を守る店長だから。
雄ちゃんの恋人でもない。
雄ちゃんとの過去にも取りすがらない。
ただ、忠実にこの店を守る人間。
そう決めている。
それでも――。
***
帰り際。
「邪魔したな」
店を出る直前、雄ちゃんが振り返ってそう言った。
〝……また来る〟
声には出さず、口の動きだけでそう伝えてくる。
三井さんが一緒だからだろう。
瞬間向けられた、ほんの少しだけ柔らかい眼差し。
その目が一瞬だけ、私を〝百合香〟として見た気がした。
扉が閉まる。
ベルが静かに鳴る。
店内は、またいつもの空気に戻った。
「店長?」
呼ばれて、私は顔を上げる。
「なぁに?」
そう答えながら、心の中で静かに言い聞かせる。
――ここでの私は、桐生百合香じゃない。
ランジェリーショップ『YURIKA』の店長。
ここでは、店長。