それぞれの幸せ
 水曜は、本来なら動きやすい日だった。
 ランジェリーショップ『YURIKA』は定休日。
 店に顔を出す理由もない。

 だからこそ――三井の目も、普段よりは緩むはずだった。
 ……はず、だったのだが実際は逆。
 ここ最近、三井の雄二を見張る視線が露骨に増えていた。

 行き先を聞かれることはない。
 何をしているか詮索されることもない。

 だが、分かる。

 見られている。

 ただ、それだけで十分だった。

 車を出すタイミングをずらし、いつもとは違う道を選ぶ。
 信号で止まるたび、無意識にバックミラーへ目が行く。

 ――いない。

 そう確認しても、落ち着かない。

 ……いや。

 今日は、最初から様子がおかしかった。

 本来なら、相良京介(カシラ)の外回りには自分が付くはずだった。
 カシラとの相性がいいから、という理由で、いつもそう決まっている。

 それなのに――。

 なぜか今日は、三井に声が掛かった。

 理由は聞いていない。
 聞く必要もない。

 カシラがそう判断したなら、それでいい。
 ……それでも、妙に引っかかった。

(……気遣われたか?)

 感謝すべきなのに、相良(さがら)京介という男の、そういう極道らしからぬ優しさが、片腕としては心配でならない。
 腹の底に、小さな苦みが残った。

 だが、せっかく作ってもらった機会だ。利用させてもらわない手はない。

 いつもなら、もっと早くに出られていた。
 距離にしてみれば、大したこともない。
 通い慣れた場所だ。

 だが今日は、三井が張り付いていたせいで、いつもより遅くなってしまった。

 それでも――。

 アクセルを踏み込む足は、迷わなかった。

 向かう先は、決まっている。


 ようやく辿り着いた高層マンションの前で、雄二は車を止めた。
 百合香は車を持たないが、自分が訪れるために駐車スペースはきっちり一台分、契約してある。

 エンジンを切る。

 静けさが、耳に残る。

 しばらくそのままシートへ座っていたが、やがて小さく息を吐き出した。

(……本当は三井が言うように、こんなこと、すべきじゃないんだろうがな)

 自嘲気味にそう思いながらも、ドアを開ける。

 頭では分かっていた。それでも――身体が、百合香を求めている。
 ドアを開けると同時に、雄二は迷いを全て振り払った。

 エントランスを抜け、エレベーターを呼び出す。百合香の部屋へ行きつくための、暗証番号もなにもかも、知っていた。

 エレベーターを待つ時間が、妙に長く感じられた。

 ――家の空気が、頭から離れないせいかもしれない。

 あの静けさ。
 あの、噛み合わない感じ。

 理由は分からない。

 三井とともにランジェリーショップ『YURIKA』を訪れた日……。確かに朝までは、雪絵の様子はいつも通りだったのだ。
 だが、あの日の帰宅時からどうしても感じさせられてしまう居心地の悪さが、胸の奥に引っかかったまま、消えない。

(《《俺》》が留守の間に何かあったのか?)

 考えても分からない。
 百合香との逢瀬だって、子供と引き換えに雪絵から許されている契約のはずだ。それを理由に今さら、雪絵があんな態度を取るとは考えられなかった。

(雪絵に何があった?)

 いくら思いを巡らせてみたところで答えは出ない。
 エレベーターの扉が開く。
 雄二はそれに乗り込みながら、面倒ごとを振り払うみたいに、階数ボタンを押した。


 目的の扉の前で立ち止まる。
 チャイムを押す前に、ほんの一瞬だけ手が止まった。

 それでも――次の瞬間には、指がインターホンを押していた。


***


 雄二がチャイムを鳴らすとすぐに、内側で小さな足音がした。
 モニターで確認したんだろう。
 誰何(すいか)の声もなく鍵が外れる音がして、ドアがゆっくりと開いた。
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