それぞれの幸せ
 放っておくと、ずっとベッドの上で座ったままでいようとするので、枕を気持ち高くして横にならせている。

「正解。――実はね、ちょっと前まではこの辺りまであったの」
 耳元の髪を指先でつまんで、腰上十五センチ付近を軽く示す。
「えっ……そんなに?」
 驚いたように目を丸くする芽生に、くすっと笑う。

「でも、切っちゃった。ほら――」

 右手を少し持ち上げて、包帯が巻かれた手首を軽く見せてから、
「このときにね、髪の毛も結構火にやられちゃって」
 さらりと告げる。
「火に?」
「あ、うん。……経営してるお店がね、火事で焼けちゃって、その時に」
 ほんの一瞬だけ、空気が止まる。
 長かった髪のことや、店のこと――そして、しろのことがよぎって、知らず知らずのうちに声が沈んでしまっていたのかもしれない。
「百合香さん……」
 ぽつんと落とされた声に芽生を見遣れば、彼女が自分のことみたいに泣きそうな顔をしていて、百合香は慌ててしまう。

(そういえば、この子も火事で焼け出されたって……)

 そんな話を相良(さがら)や雄二から聞かされていたのを、今さらのように思い出す。

(私のバカ……!)

 百合香はパッと表情を明るくして手を振った。

「あ、でもね! お店――雄ちゃんが相良さんに頼んでもっといいのにしてもらうから心配するなって言ってくれたの! だから今はワクワクして待ってるところよ? ――それに……」
 何でもないことみたいに、肩をすくめてみせる。
 むしろ怪我の功名。自分は元気なのだと、芽生に思って欲しい。
「髪なんてまた伸ばせばいいし? ……実際短いのも楽でいいなぁって思っちゃってるの。ほら、お風呂のあと、すぐ乾くし……すごく楽」
 くすくす笑う。
 そこでくるくるっと耳横の髪をもてあそびながら、
「なにより雄ちゃんがこの髪型も似合ってるって言ってくれたから……。だったらいいかなぁーって……。現金だけど、今はね、結構気に入ってるの」
 少し照れたように付け加えたら、芽生がハッとした顔をする。

「百合香さんは……千崎さんのこと、大好きなんですね」
「……うん」
 相手が雄二の妻や、三井……それから三井の舎弟だという佐山なら、こんな風に肯定するのは躊躇われるところだ。
 でも、芽生になら……本心を垣間見せてもいいかなと思った。
「千崎さんも……百合香さんをすごく大事にしてるのが分かります」
「えっ?」
「私や京ちゃんに接するときと、表情が全然違いますもん」
 芽生は、そこで申し訳なさそうにぼそぼそと……「私、千崎さん怖くて苦手なんですけど……百合香さんと一緒の千崎さんならいつもみたいに怖くないなって思いました」と付け加える。
「雄ちゃんが……怖い?」
「はい。いっつもここに縦皺(たてじわ)が寄ってて、難しいお顔なさってますもん。京ちゃんも千崎さんにはいつも叱られてるし……」
 芽生が眉間をポンポンと押さえながら雄二の顔真似をして見せるのが面白くて、百合香は思わず笑ってしまった。


***


 百合香が笑い終わると同時、
「私、百合香さんみたいになりたいです」
 ぽつりと、芽生が言った。
 どういう意味だろう? と百合香が思うより早く、芽生が続ける。
「……私も、千崎さんが百合香さんを大事にしてるみたいに、京ちゃんが大事にしたいって思ってくれるような……一人前の〝いろ〟になりたいです」

 その言葉に――百合香は、ほんの一瞬だけ息を止めた。
 胸の奥が、ひどく静かになる。
 それから、ゆっくりと息を吐いた。
 違う、と。
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