それぞれの幸せ
妻の八重子には言えなかった。
息子の雄二には、なおさらだ。
主任に昇進したばかりの一人息子に、こんな情けない話をどう伝えろというのか。
「父親の役目は、いついかなる時も堂々として、弱みを見せぬこと」――そう思っていた。
それでも、状況は悪化する一方だった。
〝返済〟のために頼れる先を考え、幸太郎はついに『あすな銀行』を訪ねた。
自社の担当は若い銀行マンだったが、かつて友人が「世話になった」と言っていた荻野という男を指名したのは、彼なら何とかしてくれるかもしれないと思ったからだ。岩倉の会社に融資してくれた荻野という男なら、あるいはうちにも。
そう思ってのことだった。
日頃なら強く拒絶すれば引き下がるはずの八重子がどうしても一緒に行くと譲らなかったのには参ったが、彼女を説き伏せる時間も惜しかった。
受付で名を告げると、窓口右端の融資相談窓口へ通された。そこだけ預金窓口などと違い、パーティションで目隠しされるみたいになっていて、少しだけ心が軽くなる。
窓口には若い男性が座っていたけれど、幸太郎が荻野を指定したからだろう。数分後、奥の方から神経質そうな中年男が現れて席を代わった。岩倉の話ではとても優しげな話しやすい人ということだったが、幸太郎の目の前に座った荻野は、とても冷たい眼をして幸太郎を見据えた。
「……融資のご相談ということでしたね」
そこでチラリとパソコンの画面に視線を走らせた荻野があからさまに吐息を落とす。そのパソコン画面の光がアクリル越しに反射して、一瞬だけ、何かの数字と〝岩倉〟の文字が見えた気がした。
「千崎さん。どうやら個人で保証債務を抱えておられるようですね」
その一言で、頭が真っ白になった。すぐそばで八重子が「保証債務?」とつぶやく声がする。
「い、いや、これには……事情が……」
「お気の毒ですが、審査基準上は融資不可です」
画面を見つめながら淡々と、荻野は打ち切るように言った。
「そこを何とかっ」
八重子がそばにいるのも忘れて、幸太郎はカウンター台に額を擦り付けるようにして懇願した。
「……千崎さん、そういうことをされても困ります。まるで私があなたをいじめてるみたいじゃないですか」
アクリル越しにも分かるくらい、荻野が迷惑そうに吐息を落としたのが分かった。
「あなた……」
背後から八重子がオロオロしたように声をかけてきて、まるでそれに絡めるみたいに荻野がいう。
「こういうことを言うのは脅しみたいで心苦しいのですが、お宅の息子さんはうちにお勤めなんですよね?」
その声にふと顔を上げると、目の前の荻野の口元がうすく笑った……ように見えた。
「ほら、息子さんのためにも……ご家庭の事情はね、あまり外に出ない方がよろしいでしょう?」
その言葉のねっとりとした響きに、嫌な汗が背中を伝う。
――そんなことはないと信じたいが、ひょっとしたらすべて……最初から仕組まれていたことなのかもしれない。
(この男は……雄二に思うところでもあるのか?)
だとしたら、これ以上父親の自分が荻野に隙を見せるわけにはいかない。
息子の雄二には、なおさらだ。
主任に昇進したばかりの一人息子に、こんな情けない話をどう伝えろというのか。
「父親の役目は、いついかなる時も堂々として、弱みを見せぬこと」――そう思っていた。
それでも、状況は悪化する一方だった。
〝返済〟のために頼れる先を考え、幸太郎はついに『あすな銀行』を訪ねた。
自社の担当は若い銀行マンだったが、かつて友人が「世話になった」と言っていた荻野という男を指名したのは、彼なら何とかしてくれるかもしれないと思ったからだ。岩倉の会社に融資してくれた荻野という男なら、あるいはうちにも。
そう思ってのことだった。
日頃なら強く拒絶すれば引き下がるはずの八重子がどうしても一緒に行くと譲らなかったのには参ったが、彼女を説き伏せる時間も惜しかった。
受付で名を告げると、窓口右端の融資相談窓口へ通された。そこだけ預金窓口などと違い、パーティションで目隠しされるみたいになっていて、少しだけ心が軽くなる。
窓口には若い男性が座っていたけれど、幸太郎が荻野を指定したからだろう。数分後、奥の方から神経質そうな中年男が現れて席を代わった。岩倉の話ではとても優しげな話しやすい人ということだったが、幸太郎の目の前に座った荻野は、とても冷たい眼をして幸太郎を見据えた。
「……融資のご相談ということでしたね」
そこでチラリとパソコンの画面に視線を走らせた荻野があからさまに吐息を落とす。そのパソコン画面の光がアクリル越しに反射して、一瞬だけ、何かの数字と〝岩倉〟の文字が見えた気がした。
「千崎さん。どうやら個人で保証債務を抱えておられるようですね」
その一言で、頭が真っ白になった。すぐそばで八重子が「保証債務?」とつぶやく声がする。
「い、いや、これには……事情が……」
「お気の毒ですが、審査基準上は融資不可です」
画面を見つめながら淡々と、荻野は打ち切るように言った。
「そこを何とかっ」
八重子がそばにいるのも忘れて、幸太郎はカウンター台に額を擦り付けるようにして懇願した。
「……千崎さん、そういうことをされても困ります。まるで私があなたをいじめてるみたいじゃないですか」
アクリル越しにも分かるくらい、荻野が迷惑そうに吐息を落としたのが分かった。
「あなた……」
背後から八重子がオロオロしたように声をかけてきて、まるでそれに絡めるみたいに荻野がいう。
「こういうことを言うのは脅しみたいで心苦しいのですが、お宅の息子さんはうちにお勤めなんですよね?」
その声にふと顔を上げると、目の前の荻野の口元がうすく笑った……ように見えた。
「ほら、息子さんのためにも……ご家庭の事情はね、あまり外に出ない方がよろしいでしょう?」
その言葉のねっとりとした響きに、嫌な汗が背中を伝う。
――そんなことはないと信じたいが、ひょっとしたらすべて……最初から仕組まれていたことなのかもしれない。
(この男は……雄二に思うところでもあるのか?)
だとしたら、これ以上父親の自分が荻野に隙を見せるわけにはいかない。