レンズ越しの純情
その静かな時間は、長くは続かなかった。

​「天野さん! いつまで新人と油売ってるの。さっき頼んだ構成案、まだ上がってないんだけど」

​突き刺さるような声とともに、菜々子が美琴のデスクを叩いた。十センチの距離にあった穏やかな空気が、一瞬で弾け飛ぶ。

​「すみません、今ちょうど、水口くんのプロフィールの聞き取りをしていて……」

「そんなの適当にやらせときなさいよ。それより、クライアントから戻しが来てるの。一時間以内にリサーチして出し直して」

​菜々子は海都の存在を空気のように扱い、美琴の前に分厚い資料の束を放り投げた。美琴は反射的に「はい」と答え、資料を抱え込む。

​「……天野さん」

低く、抑えた声が美琴を呼び止めた。海都だ。

彼は開いていた『Vivid』から目を離さないまま、けれど確かな棘(とげ)を含んだ声で言った。

​「その『リサーチ』って、天野さんがやらなきゃいけないことなんですか」

​編集部の空気が、一瞬凍りつく。菜々子が不快そうに眉を跳ね上げた。

「……何、新人くん。あなた、担当を庇ってるつもり? 彼女はね、こういう『誰でもできる仕事』を正確にこなすのが役割なの。余計な口を挟まないでくれる?」

​「誰でもできるなら、あなたがやればいいじゃないですか」

​海都は視線を上げ、菜々子を真っ直ぐに見据えた。その瞳は、撮影の時とは違う、冷徹な光を放っている。美琴は血の気が引くのを感じた。

​「水口くん、やめて……! 土井さん、すみません、すぐやりますから!」

​美琴は海都の袖を強く引き、逃げるように資料を持って席を立った。

「……いいです、天野さん」

背後で海都が小さく呟いたが、美琴は振り返ることができなかった。
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